はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

OさんとOさんの心配をしてくれた人達に「ありがとう」

この世界は不思議なことに満ちている。
Oさんと出会ったのは13年ほど前だったか、友人S君の紹介だった。
僕はまだ整体を模索中で整体協会にも入ったばかりの頃。友人がお世話になっている面白い鍼灸師がいるというので会わせてもらうことになった。
Oさんはその頃鍼灸の理論を組み立てることに熱中していたが、彼の研究で互いが優れていると思われる人物の体構造を直接体験するという実験をした。
あの時のことも面白かったけれど、その時始まっていた感応力の焦点によって彼の運命は今日に向かって動き出していたのだろう。
新宿の研究会の時代はまだ理論の構築に迷走していたが、講義をしてもらった。
5年程前だろうか、久しぶりに見せたいものがあるから来てほしいと連絡をもらい出かけた。
彼を知っている人ならわかると思うけれど、あの奇妙な言語化能力を使っての治療が始まっていた。その力自体は京都のある奥の院の神から授けられた能力でまだ実証と研究、進化の途上だった。誰にとっても主観的な経験は事実であることに間違いはない。Oさんの話もまたある世界の事実であることに疑いはない。しかし客観的な立場のこちら側は色んな意味で検証するしかないのだが、それが事実に辿りつくことはない。客観性が事実に辿りつくことはそれが何であれ絶対にないのだ。感応という現象を除いては。
 
それが東北の震災で一気に関係が進展する。
互いに共通点の多い経緯を歩んできたこともそのころになってわかってきた。
Oさんが教室に顔を出し始めたのもそのころだ。
ヤマハの教室は閉鎖したが、Oさんが率先して場所を確保してくれたので、細々と続けることになった。教室でやっていることに、彼に起こっていた出来事の助けとなる部分があったと話をしてくれた。自分の人生を自分の中に見出して行こうとする集中の中に技術として状況を打開するセオリーが見いだせる。それが分かってもらえたのは僕にもうれしいことだった。それが太極拳でも整体でも音楽でもなんでもいい。身体が教えることは日常そのものにフィードバックすべきものだと僕は整体に教わった。
 
彼の世界の中での真実が現実の世界とシンクロしていることはだんだんはっきりしてきていた。たまに彼の我がその情報に混乱を与えることもある。けれどそのシンクロ率と比例して彼の内側の物語もまた削り出され始めていた。
それは人間が意識下で共有する古い記憶と神話の物語。
同時に僕とのラポールも遠くの方から徐々に強くなっていただろう。
その物語は彼の特殊な能力によって紡ぎだされていたが、大変な仕事でもあった。もう一つ彼が長年使用していたOリングテストの改良版にも引っかかりがあった。それは今回彼の命を繋ぎ止めるのに大きな役割を果たしたが、同時に真の自己にアクセスする障害ともなって彼を苦しめているもののメタファでもあったように思う。
そしてその苦しみが膵臓癌という形となって現れたのが去年の夏くらいだった。山好きだった彼は一か月の休みを取って夏を好きな山で過ごした。その後徐々に自覚症状は現れてくる。
その前に僕がインドから持ち帰ったものは、彼にとっても意味のあるものだった。そうして別々のコミュニティーがリンクしてその先の運命を選択していく。そのタイミングを決める命のギリギリのところに差し掛かっていた。
年末内なる声に従って実家に帰り、彼を見て驚いた医師の弟は緊急で入院させた。すぐに教室のUさんがお見舞いに行った。
弟のおかげで環境は良いようだったし、生まれ故郷に戻ってほっとしているみたいだとのこと。その頃は一旦落ち着いていたのだろう。
しかしその後、何度も生死の境を彷徨って一月終わり、意識不明に陥った時にステントの手術を受けた。
意識を回復した彼からかかってきた電話では「もう大丈夫だ。五月には復帰するよ。」という声に安心したが、回復した頃と思われる4月終わりの日に電話をしてみると、その直後腎臓や肺などに転移した癌で余命3か月と宣告され手の施しようもなく、既に自宅で床に伏していた。死の間際で言葉もなくただ来てほしいと言う。
18日に会いに行く約束をして短い電話を切ってから、意識の水面下で色々なことが起こり始めていた。。
だいたい仕事でも約束をする、予約の連絡をもらう。と、何らかの繋がりができるのは間違いない。だいたいその時から身体が変わる。最近では慣れたのか、鈍くなったのかあまり気にならなくなったけど、多分口約束と言うものは存外に繋がりを作る。
まあ余談だけど口に出した約束、あるいは契約と言うものには存外に力があるのじゃないかと思うことがある。
ともかくこちらでやれることを、と他にも協力してもらって遠隔の愉気を始める。途端にほとんど寝れなくなるほど酷い悪夢に苛まれる。こりゃ不味いと思ったけれど多少背負込むのは致し方ない。
Oさんの方はその日少し好転したらしく五日後には電話をくれたが、遠隔はある理由でいらない、と言う。こっちとしては「おいおい!!」という理由だったのだけれど考えてみると彼の癌を取り巻く焦点がいよいよこちら側にもはっきりしてきた。それが良いか悪いかは多少の誤解があったけれど。
 
それでもあれやこれやに助けられながら18日土曜日午前中前橋に行くことに。
Tちゃん母は鋭い・・操法中妙にビクビクしながら横になる。足元で男性がため息をついているんですが・・ときた。う~んOさんの所に行くのを邪魔しに来た人ですけど。。
一時前に出て四時に到着。
僕の方も電話での約束以降、あちこち疼き始めていた歯の痛みがピークになっていたのだけれど、彼の家に近づくにつれ楽になり始めていた。
抗がん剤放射線治療もしなかったOさんは実家にいる。Oさんの実家の二階の部屋に通されるとOさんは甥に支えられて身を起こしていた。
その風貌は仙人そのもの。
15リットルの腹水がたまった後のまだ膨らんだ腹で90日間にわたる臨死体験から自我の崩壊を経て昨日の癌の寛解が起こるまでの経緯を彼の内側の物語を交えつつぽつぽつと語り始めた。
 
部屋の空気は澄んでいた。
 
会うまでは整体をするか迷っていたし、電話で会う約束をしてから安眠妨害をしてくれた彼の中の癌で苦しめていた人達をどうするか考えていたことも、彼の使っていた力の難しさや、認識の影の部分もその前日までの体験で癌とともに寛解しはじめたことは彼の顔を見ればわかった。
 
もうこちらから言うべきことも、やるべきことも、何も無かった。
 
彼のカルマともいうべき病状を打開したこの数年の始まりは思えば出会った頃の感応力に始まっていたのだろう。それが人であろうがなかろうが、感応しあった生命が糸を紡ぎ始める。織り上げられるそれは生命の根源的な記憶としてまたこの世界に飲み込まれていく。ごく当たり前の日常的なありふれた場景。
 
そして彼の希望で物語の最後の締めくくりを受け取ることになった。
受け取るのは僕のまた影の身体。
二人で手を合わせる。
 
そして彼の仕事が終わる。
この世界とそこにある命の美しさに、ただ手を合わせてありがとうというそれだけの世界。
サポートしてくれたアバタ―にも。。
 
 
 
癌と言うものについても、病と言うことについてもそのうちぽつぽつと書こうと思っているのだけど、この先Oさんが死ぬ時がきてもそれは寿命で死ぬ。それは当たり前のようで至極まっとうな、でも今の世では難しいこと。
Oさんは長い時間生死の境を彷徨い、無邪気に世界の不思議に向き合い、自我から解放されてやっと整体になったと思う。
彼と同じころ転換期を迎えたにも拘らずドツボに落っこちてばかりの僕にとっても感謝に絶えない体験だったけど、これから先Oさんとの出会いは大きな意味を持ってくるだろう。
それが縁というやつだし。
 
  面白いよやっぱり、この世界は。