はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

悲しく愚かな出来事

ヤフーのニュースにアマゾンで暮らすヤノマミ族の集落をブラジルの鉱山業者がヘリを使って集落ごと焼き払い80人を虐殺した。との記事があった。
ショッキング過ぎる。。
自然と共に暮らし最も人類の原始的生活形態を残していたと言われる部族。
彼らの慎ましやかな生活をNHK の特集で知ったとき、現代文明に生きる自分達の中にあった原始の姿を見つけて、まだこんな人たちが同時代に存在していることの不思議さに感動したけど、彼らの人口数で80人は致命的だ。
ヤノマミが言うように原始的な姿を棄てた文明人は彼らと同じ人間ではない。インディオアボリジニアイヌや数多くの民族、文化が滅ぼされ拝金主義の現代文明は何処に行くのだろう。

彼らの血も我々の血も同じ長さを生きてきた。虐殺した業者もまた同じ時間を生きてきた。
ヤノマミだって、カニバリズムの風習を持った時代もあるかもしれない。でもそれはただ生きるための最小限に合理的行為としてだ。殺害した業者のような富みに対するコンプレックスからじゃない。
例えば日本では縄文の時代戦のような殺戮はなかったというが、大陸から農耕文明が入ってきた弥生時代になって争いは始まる。
今の日本でいう竹島尖閣諸島とおなじ。土地の利権争いは何も進歩していない。
実はこの所有するという概念には天が与えたものとの強力な観念が共有されている。例えば信長が始めた「市」がそうだし、狩猟民族が猟で獲たものからイスラエルの紛争まで同じだ。
だから、昔の修行者達は所有することを辞めることからはじめた。
だからといって、世界中で起こる同じ悲劇に同じ理屈は通用しない。
所有の観念を進化させなければこの世界の根本は変わらない。
その一つの鍵は長く戦乱のなかった江戸時代だからこそ生まれた文化と言うものに現れている。その中から所有の観念を進化させる鍵を我々は抽出できるだろうか。