はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

再掲載 身体図形

昔のブログはなんて言うんですか?書式が違っていて、再掲載すると僕側の表示が変わりますね。

写真は無理なようです…

 

世界最古の幾何学模様は四万年から五万年前とか、10万年前に遡ると言われている。
4万年前のラスコー洞窟にも描かれていたのだから、現人類だけでなくクロマニヨン人の頃には既に象徴認識があって、ネアンデルタール人の祭祀にしても、その後の全ての文明を内包した熟しきったエネルギーを宿していたことが伺える。
幾何学図形の発展は時代を降って4000年以上前と言われる古代バビロニアギリシャなどで時空間的な木星の位置を算出するほどだったと言うのだから驚きだ。
世界的にも一番古いといわれるゴゾ島にあるジュガンティーヤ神殿(紀元前3600年頃)はアトラスのカリプソの娘、巨人族女性の神殿であったと言われていて、同時代にエジプトでは古王朝(ナカダ文化1期)が起こり太陽暦を採用、クレタ島ではミノア文明が始まる。シュメールで筆記が発明されたのが前3000年でピラミッド文書が前2300から2400年くらい。。。
古代バビロニアの数学はインドや中国などにも伝播しただろうし、そのインダス文明が2600年くらいだから古代バビロニア旧約聖書に出てくるバベルは謎すぎる。
ロマンだわ~

死者の埋葬から前時代の記憶が神話になり、宗教儀式が発明されて都市国家が興る。

我々が幾何学図形に感応する起源はどこにあるのだろう?と思って、古代バビロニアの遺物にまで遡る。
本来、発明は体感の中にある感覚を表象したもので、文字や図形もその一つだけど、それは男性的で、多分国家や宗教と言ったものは女性的感覚から生まれている。

昔読んだ本の中にロシアの神智学者でウスペンスキーという人がいたんだけど、彼は何でもかんでも抽象形の組み合わせで見えていたと書いてある。
身体を雪の結晶や葉、貝殻のようなデザインの幾重もの織物で、複雑な立体の組み合わせや、生成、解体で出来ていると観ると、身体内界に抽象的形を与えてやる事でなんらかの体験が起こることもあり得る。

もうどこに行ったのか分からないんだけど、ウスペンスキーを読んでいた頃だから、20年以上前に、EOと言う名の怪人物が神聖幾何学集の本を書いていた。そのほとんどは彼の独創で、なんの解説もない不思議な本なんだけど、なんだか惹かれて暫くはにらめっこしていた。


身体と世界の関わりを幾何学的に表そうと言う思考が古代の宗教の中にはある。
最近ではフラワーオブライフと言うのが流行っているみたいだけど、神聖幾何学の近代化はどうなの?と思っていたらやはり近代スピ系の指向性を象徴していた。


各民族の宗教から生まれた象徴の代表的なものが文字や図形。その中に身体像を表すものがある。
例えばヨガの身体像、セフィロトの身体、仙道の身体、キリスト教の身体、密教の身体、神道の身体などいろいろな身体像。
それらはそれぞれの至高体験のモデルであって、中心に置くものが違うのですが、各身体によって対話する世界の対象が異なるようだ。


これは実験用の2019年版肩当てで試している事で、だいぶんシンプルな形になってきた。これに市販の幾何学カードを使って音の性質と身体を聞いてみようと言うもの。


実際は新宿紀伊国屋をぶらぶらしていて、思いついた時は上手くいくかは分からなかったのだけど。
「形」は腰椎一番の管轄だから、一番は全部に当てはまる。(○だけの組み合わせを除く)

例えばヤントラは頚椎三番、胸椎四番、腰椎一番の組み立てで、腹を中心に置く体勢になる。


面白いのは、意識の座と言われる泥眼に気が集まることです。ここに神仏を招くことが一つの目的なのでしょう。
メタトロンキューブと呼ばれるプラトン立体は、ヤントラとは違う組み合わせで胸が中心になり、神社の狛犬が足を掛けている球体の模様フラワーオブライフは骨盤の奥になりますが、これには自己完結の特徴があります。感覚としては寂静でしょうか。
面白いのはセフィロトの図形で、抽象的な形と言うには直接の意識運動を図案化して関係性だけを顕しているようで、体内にこの図形が出来ると、宗教的感性のある方の体験は「感謝」という感情になります。少し異質ですね。


ちょっと捻って神代文字ケルトを組み合わせると、本格的な活元運動が起こります。これはちょっとアパートじゃまずいレベルなので、触りだけで保留していますが。


それぞれ形に民族的由来が出ているのは面白いところです。
一月、今年最初の太極拳教室で余興にこれを使って弾いてもらいました。
3枚のカードによって内的な空間形成が変わりますが、元々体内の気のシステムが変わる事で、弾きやすくなる形や、音の流れや形が違い、聴いている側の身体も、まとめてそのシステムからくる質を体験します。
個人の集注形態の違いによってシステムは同じでも体内経験は違います。


そこで、表の身体と裏の身体、集中と拡散の身体と、左右の捻れにする組み合わせを板で作って試してみます。
その形に同期する身体の形は、形に同期するという事を遡った時、その「形」の発生が生命の発生に関わり、意味の発生以前である事の再確認をしてみることができるかもしれません。


例えば、インドの神の数だけあるヤントラ「幾何学模様」は、身体が経験出来る様々な「質」を表しています。
これは世界共通、あるのは体験質だけ。
「形」は恐らく「質」によって形成されているのでしょう。
例えば、目の前に◯△◇を一つづつ妄想するとします。すると鼻の中が形を変える毎に若干変化して、ある香を聞けばその匂いを受け入れやすい形がある事になります。
それはまぁ妄想ですから、妄想対応の変化ですが。


まだ断言出来るものではないですけど、例えば◯の組み合わせは自分の内面を顕すように作用します。丸だけだとお腹の世界ですが、例えばマリア大聖堂の窓のデザインは頚椎4番胸椎3番腰椎4番で上部胸椎を開きます。時期的には気海に繋げると良い感じです。
△の組み合わせはマレビトに門を開いたり閉じたりな感じです。
◇は囲う働きがあります。
色々な組み合わせで、質の異なる運動になります。
形を集中の対象とした時、それらは体内の抽象的運動体と反応をして構造的に立ち上がる記憶。
形は記憶の生命活動。

今年の課題だな。