はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

正しさ?

昨日ミュンヘンに留学しているY君に、重心についてここに書くと約束してしまったので、それについて少し触れておく。
Y君が言うには、整体の本を読むと「体癖」によって重心が違う。ヴァイオリンを弾くには踵の前の外側が良いのではないか?と考えたらしい。
多分、多くの人が理想の重心位置にすれば、その体癖的特徴を得ると考えてしまう。
問題は、その思考形態の手順にあると思う。

例えば、Y君にその重心で立ってもらう。
背中を観ていくと、胸椎6番でなじむ。とすれば、それは胸椎6番の重心と言うことになる。
これは例えば腰椎2番に馴染む足の形をとってもらった時の重心をみれば、腰椎2番の重心位置と言うことになる。
小便を我慢している時の重心位置は腰椎5番に気が集まる。
4番ならば〇〇、7番なら〇〇とそれである意味は表象されているかもしれない。つまり重心が踵の前にある時が理想とすれば、その身体の集中している箇所は、今その人が集中しているものを表す。
しかし、この「理想」は曲者。理想の一様と、その他の多様との間の運動に、ある意味暴力的な強制を強いることにもなりかねない。
顎関節に問題がある時の重心と、顎関節の非可動性を解除した時の重心位置は違うが、解除した時の重心にすれば問題がなくなるわけではない。

例えば、今の僕が問題を解除するとすれば、その時々に応じた発想が出来るか?だけが技術力で、方法と呼べるものになる。
つまり強制(矯正)すべき形があるわけではない。

今日のT_Tちゃんは会社で上司との間のストレスに悩んでいた。
上司の棘がある言葉にゲンナリしていたので、耳を摘んで見ると、左耳が眼とひっついて離れない。その眼を動かすと耳は奥に移動出来るようになる。
すると左腹に緊張のある空気感が出てくる。それが何か調べると、どうも上司と自分(この意味づけは無用)の二点間に発生したものらしい。
その二点を〇〇◯出来るものを見つけてもらうとその空気は動き始め、フェミニンな空気になって広がる。お腹を一周すると二者の位置をもう一度戻して、別に滞った運動の処が出てくるのでそれを元の場所に返す。
元の場所に返すと、中毒を示す場所が出て来る。そこに気が通ってまとまれば終わり。
と言うような手順が、一種「勘」で展開する。
だから、正しいモデルとして他の人に同じ手順が当てはまるかと言うとそれはない。
だから、忘れる。
難しいのは、僕と相手の間に遠慮も疑いもなく集中出来る空気が用意出来るか?と言う難問があるにはある。
僕の場合はそこに時間がかかってしまう。
二、三年かけてそれが出来ても、必然的なトラブルで終わってしまうこともある。
そこにも人の移ろいはあるし、生きているんだからいろいろ起きるのは仕方ない。

重心が人の身体の多様性に移ろいを映し出している以上、信頼出来るものがいつまでもそこにあるわけじゃない。

理想や正解と見えるものに自分を近づけるのが社会性と言うものらしいが、それは必ず権力とか暴力といったものを伴っている。こんな重心問題一つとっても、優性保護法ややまゆり園、人種差別や、遺伝子組み換え問題に通じる思考法になってしまうのは、象徴作用の働き故かも知れないが、そこに至る過程に多くのものを黙殺している。
「正しさ」は無数の間違いの一つである。
と、考え始めればそれもまた、同じ轍を踏んでいるのだから、法則は未知の法則を否定できないのと同じで、拡張方向に正解の法則を探すのはその法則自体が何にとって「正しい」のか初めから何かの都合に過ぎなかった事を露呈する。