はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

再掲載

「意」の身体と曲率が負の世界

 

まだ「はてなブログ」がよくわかっていなくて、今まで書いた約半数が分からないところに埋もれていました。(これは外部からは見えてるのかな?)

ちょっと分からないのだけれど、そのうちの一本(三年くらい前)を見つけたのでテストがてら、修正を入れて再掲載してみます。



「意」と言う文字の語源は「音」と「心」の会意文字。


白川静さんは「音」の「心」をおしはかるので「おしはかる」が「意」の意味とされています。


「音」という字は神前で祝詞を挙げると、暗闇の中で神様の訪れがあって、「さい」の中に、かすかな音としての神様(因みに神は申が元でカミナリの意=自然の力)の神意が示されることで、「神意」は「おしはかる」ことを意味している。
つまり、自然の力をおしはかる。意とは働きを観ている何者かがいる。「心」は胸だったり、腹だったり、人差し指だったりと、身体の事なので、私の身体の衝動のように自ずからの心意とは、去来するものとなる。

対して西洋の絶対神は、数学と潜在的集合意識の事で、日本的な「働き」に対する「物の学理」が表になっている。そこには去来するものがなく、見ている何者かはない。


今回は(も?)記憶の話しについて、少し突っ込んでみたいと思います。
極めてオーソドックな話しから始めましょうか。
まずは一見怪しげなお話ですから、拒絶反応を押し殺してお読み下さい。


昔友人Tと電話していた時に、胸椎に何か集中してるところがあるからそこを観ろ。と言われた時の事です。


確か四番あたりに裏の集中が集まっていました。


そこにぐぐ~っと入っていきます。


するとある胸の抽象がでてきます。
(抽象と言うのはそれ自体が大問題で、働きそのものが視覚化されている深さの世界を示している)


「それそれ」

「もっといける?」

さらに集注。


すると二つの抽象が離れていきます。その間に力ずくで集中してみます。

・・・・・

「あ、記憶の世界じゃない?」

 

しばらくして、外の空気も変わった事に気がつきます。


「あの~来てるんだけど」

あーこっちにも来てる

・・・

背後に女性が立っています。


うん、来てるね。。。

あ、昔のあの侍女の人だよね。

かなり古い着物の女性だと雰囲気でわかります。

9歳の時に霊能者のお婆ちゃんが供養したはずの…?

(コクン)

ちょっとそっちからも頼んでくれない?

もう許してちょ!って


「・・・ダメだって」

えーまた戻るの?

(コクン)

 

あ、戻った・・
はぁ~~~


他にも観た?

「見た…」


あの婆ちゃん本物だったんだなぁ~~


この話しの前、小学校三年の時、祖母が山口からイタコのお婆さんを連れて来たことがありました。

その時の話では、あなたの鼻が悪い原因は、あなたが城主だった時の侍女が、池に落ちて死んでいるのだけど、その侍女が取り憑いているからです。供養しましょう。
と言う話しでした。

聞いた両親は怪訝な反応。

その後も二回程お婆さんのところに行ったのだけど、この子生まれが違う?から私のところで修行させないか、と言っていたのを親も断り、結局鼻は良くならず、二十歳の時に自分で治しました。


ただ、何かあると感じたのでしょう。この時の事があって、宗教的世界を世間体で毛嫌いするのはやめようと思うようになりました。

もともと霊障なんてものがあって、それは霊媒師にとって貰うものなんて考えは微塵もなかったので、せっせと身体の可能性について考え始めました。

霊媒師が病を消すと言う現象は、 中学くらいから何度か見る機会がありました。

その頃から、霊媒師の力にもいろいろ。それに出会ったり、病が治ったりは時期というものがあるんだとわかってきます。(自分がやる側だと時期じゃない人は治る時に来なかったりします)

それは運命というものなのか?

子供に分かるのは、彼等はウソをついてるわけじゃないと言う事です。

病気のなくなる人もいるのは間違いじゃない。

でも本人の意思に反して治りたくない人もいるし、病が身にやって来てすぐに去っていく人、何十年も抱える人がいる。

そこに医師だろうと霊媒師だろうと、治療師だろうと、他者が介入するのは本当のところ何が起こっているのだろう?と言う違和感。

視える視えないってなんなのか?と言う疑問。

兎に角色々な疑問が生まれた時期でした。


その頃から兎に角「からだ」を開拓することに興味の方向が向いて、例えば小学校五年生の身体測定の時には、易筋経(人民と体育シリーズ)と言う少林拳の筋肉増強法を練習していたのですから、まぁ小学生らしい発想ですけど。。
僕の中では鼻の治療に毎週体質改善のなんの効果もない注射を打たれてましたから、医学への信頼は無くなっていましたし、それよりも、身体を鍛えて探究していけば、もしかしたら原因かもしれない「霊」の本当の意味が分かるかもしれないと興味を抱きます。

何より単純に日常よりは深みのありそうな世界です。

週三回の通院や様々な医療機関をたらい回しにされていましたから、子供でも、いや子供だからこそ、医師の無力と無関心に気がつくし、その簡易な手法にうんざりしていたのかもしれません。詳しいことはわからないけど、どうしてこの人達は自分の身体に対して、こうも単純な見解で収まっていられるのだろうか?と言う疑問はありました。
ある時は大学病院で、子供だから文句は言わないだろうと、物として扱われたことがありました。
学生を集めて標本さながらに器具を突っ込まれて、実際に痛みと、子供ながらに情けなさで涙が出ます。
医師はお偉い先生かも知れませんが、僕には関係ありません。今にもハサミで顔を切り刻みながら説明しだすんじゃないかと、診察台で両手を拘束され、痛みと恐怖で泣いていた覚えがあります。
これは治療の為に我慢してる訳じゃないのか?!とだんだんわかってきます。
教授は「こんなの治るわけがない!」器具で皮膚が裂け、血を流しているモルモットに、捨て台詞をお吐きになりました。

凄くないですか?

40年経っても結構鮮明に覚えているのですよ。

恨みも何もないんですけどね。

だけど、じゃあどうすれば良かったんだ?と言うのが身体に向けての問い掛けにはなっていたんでしょう。ともかく当時の僕は親の心配にはしばらく付き合うけれど、自分の身体は自分で治そうと思いました。
実際その後、気合い入れて立禅に取り組み三カ月で治ったのですから、自分の病気は自分にしか治せないと言う事でもあります。

 

その治ったはずの身体に、十三年を隔てて他者から見た因子、ある異常感としての霊が残っている

それも観る側は三人、十年を隔てて同じことを言われたのですから、ちょっと面白いじゃないですか。

 

自分の身体は自分でしか治せない。

だけど、自分には自分の異常感は分からないものなのもまた事実です。

 

生きるには障害が必要です。

だから本当に腕の良い霊能者のところには人が来なくなります。

障害が無くなると普通の生活を送っている人には、平穏の代わりにモチベーションが消えてしまうからでしょう。 

 

ちなみに整体は治療をする訳ではなく、身体を豊かにしていく事、身体以前の感覚を求めます。

だから、身体が失われていく世界は寂しい事ですが、自分の身体を観る力や観察課題はいくらでもあります。

 

(例えば最近のコロナが始まってから、胸の裏や頭などにべったりひっついている違和感を気功や霊能者の世界では瘴鬼と言うそうですが、この気を向こうの世界に返して新しい気に入れ替えると怪しい症状もなくなります。

瘴鬼はウィルスと言うカメラ目線とは別の、働きの質と見れば、観察方法を見つける事も吐き出す事も出来るでしょう。)


大丈夫ですか?
も少し怪しい話しにお付き合い下さい。


シャーマニックな才能を持つMとある瞑想セミナーへ誘われた時の事です。

感情解放系のモデリングワークを眺めていてふとこの鼻の一件を思い出しました。

この集団の集中ならいけるかも…!
と言うか、退屈だからやってみるか。

・・・だめか、

「その女性の名前は?」と聞くM。

わからん

「ちょっとデバインに聞いてみた。

八重さんだって。」
・・・

で、上がりそう?

「一緒にやる?」


ー君も暇なんですね


「、グエ~~!」
「息できない!」


そりゃ掘りの中で亡くなってるからな


「ちょっと!ちゃんと謝って!(怒」


・・・はい

ごめんなさいよー


「どう?変わった?」

・・いや

 


「八重さんが、もりちか様~~!!って叫んでたけど。」


「もりちか?・・何もりちかだろ」


「それは分からない」


「城は何処にあるかわかる?」

「高遠だって」

終わったら調べてみよう。

高遠は昔一度花見に行った事がある。


確か城跡が名所だったはず。


高遠を領地にしていた武将で「もりちか」を探すと、どうも仁科氏の所領で仁科盛国の息子に盛親がいて、武田との前線の「宿城」の城主になっている。

もしかして、これか?

信州は安曇野、西山の山麓に小岩嶽という集落がある。塩の道“千国街道”が上手を通る。天文年間の戦国時代、街道の宿城として小岩嶽城があった。城主小岩盛親は、周囲の豪族が武田勢に寝返る中、武田晴信軍三千を相手に僅か五百余の兵をもって守護大名小笠原長時を援護し、最後の牙城として籠城、壮絶な戦いの中、家臣の裏切りによって水路が断たれ、最期を迎え息子盛康と共に自刃した。
という事らしい。


時代が分からないが、多分この人の事じゃないかな。
と思っていたら、6日経ってMからクレームが来る。

「こっちに八重さんがいる!しんどい!」

わしは、いつもと同じ、しんどい

「そっちに帰れって言うから!」


そんなもん無駄や。分身みたいなもんだから


「そっか、CDコピーと同じか」


「どうも話し聞いたら、八重さんは盛親さんのお手付きで、あんたは盛親さんの息子だったらしいよ」

じゃあ盛親さんを呼び出すしかないな


いや、出来るかなあ。。。


名字は仁科じゃないよな、小岩でいいでしょ。


・・・・



「だめだ!お父さんは?」


仁科盛国 ・・盛胤?

「仁科盛国の息子で、息子は?」


盛康
「ふむ。あんたは盛康か?」

「盛康のお父さんー」

一応、胸腺を開いてみる

おゎーーーきたーー!

「なんじゃ、誰がよんでおる?って」


いや、だから八重でしょ


「八重さんですよー」

ーーーーーーーーーー

「あなたが殺せと命じたのですか?って」

・・・

違うらしいよ


一緒に成仏してもろた?


「したでしょ。殺せと命じたのか聞きたかったらしい」


そんなんで460年もわしに憑いとったんかいな!女怖い。。。

盛親に憑けばいいのに!


「死んだ時たまたま近くにいたのね。あんた正妻の子供だったし」


はーーー?!

菩提寺があるな。


以下引用
青原寺は小岩嶽城主である小岩盛親、盛康親子の菩提寺として建立された。この父子は永禄4年6月28日武田信玄に攻められ落城、同城にて切腹。開山は、盛親の請願により美濃の國(岐阜県関市)祥雲山龍泰寺第5世蘭如従賀禅師である。

蘭如禅師は龍泰寺の本寺である大雄山最乗寺(神奈川県小田原)第72世で、その文書は「華叟禅師嘱文之写」によると、文明3年(1481)3月18日の龍泰寺開山華叟禅師示寂の直前に法嗣の絶方祖奝に附属した文。天文4年(1535)11月25日に諸堂が兵火のため、公状、法器、什物とともにこの嘱文も残らず消失してしまい、翌天文5年2月13日、龍泰寺5世蘭如従賀が改めて写しを作って龍泰寺室中に伝えたものである。その最後に、天文五年丙申年二月十三日 前最乗祥雲四世 青原開基 蘭如老衲(花押・下図に掲載)とあり、このことから青原寺の開創は天文5年以前と推定される。
龍泰寺は相州大雄山最乗寺の末寺であり、最乗の法輪を転じて、了庵、無極、月江三師の法乳の恩に酬いるべきこと、及び、開基足利義尚の僧供を蒙っているので、永くその武運長久を祈るべきことが遺嘱されている。尚、この古文書は天文5年(1536)の当山開山蘭如禅師真筆の「華叟禅師嘱文之写」下書きで青原寺所蔵


「ん?大雄山最乗寺?!」


実は僕は寺には興味がなく、年に一度くらい深大寺に散歩に行く(寺にはあまり入らない)他は、この最乗寺だけは何度か散策しているお気に入りの場所。

まだわしの方にはいたりする?


ちょっと反応を確認してみる


「いないよ。もうそちには用はないって」


・・・・・は?なんつー言い草

長年連れ添って来たのに!!

それにしても昔の人の念は強い。
腰の強さが違う。
・・・・・


恐怖や憎しみで「うらめしや~」ってなわけですが、病気や苦しみの背景にこういった感情が隠されていることは珍しくありません。

その人の病に限らず、家庭や人間関係等がこうした他者の記憶に侵されて何かを主張する。

その他者の中心は先祖の記憶、つまりDNAといったら分かりますか?いや、それは何もわかっていないでしょ。

実際、ある一族が組する複数の記憶集団のなかで、自分の身体に影を落とすのはかなり特定が難しい。ほぼランダムな記憶、血のつながりもない枝葉の方に位置する人が重要な事も珍しくないのは、集団における気の働き方のセオリーでもあるでしょう。

 

生きていく事の中には、こうした問題に対する抵抗が力を生み出すこともある。

だから、問題が全部無くなれば幸せになるかと言えばそうじゃない。

ただ整体では自分の身体に起こる出来事は自分の責任だと言うだけ。

その自分はじゃあ何処にいるの?

「身体の声を聞く」ってよく言うけれど、その声と自意識は別でしょ。

自分の意識は分別を「おしはかる」もので、身体の声を聞くは、身体にたいする受身。

自意識自体が「他者」をおしはかるもの以上でも以下でもない。つまり拒絶と同化を選択するいわば世界に対する客観性を自意識と観念している。その世界とは我が身の経験なのだから、客観性として働く限り、世界と自分は分離している。

意識からは分離した身体の声自体が他者とも言うことが出来る。他者だから具体的実在感のある他者に身体を預けて、ちょっとここが痛いから切って頂戴、貼って頂戴、とやる。

その時、自意識は他者としての身体を排除している。

 

だから、「身体に責任を取るだけが自分」と言う事になる。

 

この時、僕は自分の身体を自分で治して、尚且つ主張する記憶のある事に驚いていた。

それは治ると言う現象以前にある、集合的な生存原理つまり潜在記憶における「他者」の意義が、最深部で自分の発生を意味する事を示す現象でもあったから。

 

一般的に理解されている他者とは自分の経験である。と言う事の支えには「気」の働きがあって理由がない原理、例えば有効個体数から発生した種を支える世界の側からの原理が埋め込まれているのかもしれない。

 

個人の苦しみも喜びも、退屈も倦怠も、緊張も嫌悪も開き直りも全ては身体がそのような体勢になっている。整体はそれを構成するものを焦点と言っています。

その焦点は当然「気」と言うものになります。


僕が八重さんの障を足の小指で外したように、身体は固着しているその集中を外せば、別の身体へと移行します。
苦しんでる間は「たすけてーたすけてー」とより集中を強めて、鬱屈したエネルギーを他の誰かに向けて発散或いは、内界に鬱屈させています。


その構図に集中しているうちは焦点がそこから動かなくなっています。

 

では、こういった霊が視えるとか、会話が出来る或いは最も信頼出来る体験をする人達はいったいどんな焦点なのか?

それは研究対象足り得るのか、妄想なのか?

どんな身体なら良い体験となるのか?と言う問題ですが、僕の知る限りほぼ間違いなく野口晴哉提唱の整体生活をこなしている人達である事は間違いありません。

身体の集中している場所もほぼ同じと言って良いでしょう。

ところが、集中や感覚を必要とせず体験させられると言ったこともあります。


こんな事もありました。
新宿の住んでいた部屋を出る時に、掃除を終えて何もない部屋に立って騒がしい日常ともお別れだと感慨に耽っていたところ、目の前がキラっと光りました。

反射的に手を出すとポトリと、2年前に失くなっていた、友人から貰った小物が落ちてきたのです。

!!

何もない空間から突然落ちてきたのですから、びっくりです。
犯人は一緒に住んでいたオカマの幽霊でした。


イタズラにも程があります。

 


それと、もう一つ大事なことは「記憶」は変わっていく。と言う事です。今回話しているエピソードは「記憶」の在り方の一つですけど、僕は周知の意味での過去世と言うのは信じていません。この話のような記憶からの体験はいくつかあるし、今現在進行中のものもあります。

そうした中で中沢新一氏の「レンマ学」がモデルとしては一番近いかもしれないとは思いますが、話すのは数年後になりそうです。


この話は、どちらかと言うと精神医学的対象でしょうけれど、記憶が変わると言う事は、記憶は変わるのを待っているとも言えます。
例えば九種体癖が恨みを忘れないと言うのはその経験に対するエネルギーの凝縮密度が濃いと言う事です。身体はそこに同じパターンの運動を繰り返します。
しかもその繰り返しに飽きない。
飽きないのはその「経験」に対する興味が尽きないと言う事です。謎への集中が持続し続けると言う事です。

「経験」と言う謎は、あくまで自分の内界にありますから、そこに未知の感覚経験が発生しなければ動きません。
つまり、謎は増えるとパターンから解放されます。謎の増える事、未知の感覚が記憶の変容に繋がります。
他にも謎の感覚に形やストーリーを与えることで集中を薄めるバリエーションがいろいろな方法に分かれています。
記憶が他者であるのは、特別な事ではなく、自分とされているもの、或いは様々なコミュニティの関係性の原理の内にも含まれています。

他者感覚に適応する自分の身体内部の変化に認識が及ぶ人で、しばしばそのまま認識した変化が消えないこともあります。
一般的にも他者の記憶が自分の中にあるのは当たり前です。もちろんそこには母親の身体記憶、父親の身体記憶なども重層的に含まれています。
感動した景色も身体の記憶です。
手捻りの器も、木やコンクリートの家の素材も記憶を持っています。
写真も撮影した人間と対象の記憶です。
写真を撮影したフィルムを光に当てるとそれは残らない。撮影済みフィルムを薬品で処理して、像を浮かび上がらせ、その像を定着させるという処理が必要になる。その一連の処理を「現像」と呼んでいます。
記憶に光をあてると壊れてしまうのはフィルムと同じで、記憶は影の世界にある。現像とは定着した記憶で、現象はその記憶が熱により変化する過程でもあります。
「記憶」とは何か?と言うのは大きなテーマですが、それは自分達の意識が記憶を過去のものとして了解している事への時間に対する微かな違和感とともにあります。

 


記憶を背負うと言えば、最近面白いなぁと思ったのは、結婚した女性の名前と身体の関係です。
女性は結婚したらほんとに背中が変わります。
旦那を背負うんですね。
家族の構成が上手く出来ている家庭の奥さんはしっかり旦那を背負っています。
旦那は俺が飯を食わせているんだ!って自負しながら、しっかり背負ってもらっています。
だから、奥さんが先に亡くなると、途端に半端じゃない喪失感に襲われて早死にしたりしますが、旦那が先に亡くなると奥さんは本当に肩の荷が下りて自分に戻りますから、元気になります。
それが旧姓を使い続けていて尚且つ、旦那より親に生活の援助をしてもらっていたら、背負った旦那が薄い。
奥さんの方が稼ぎが良くても薄いです。
結構現金なものですね。
子供からすると、生みの親より育ての親、苗字の親を背負っている。
だから、姓を変更するのは昔は身体を表していたけれど、今はその意味もなくなりつつあります。
女性は旦那の身体を背負うか、生活を背負うか、あるいは私生児を作って先祖を背負わすか…
こういったこともあって、最近は名前を旧姓と両方書いてもらっています。
実はこれらは個人が背負っているものの一部に過ぎませんが、(だいたい仁科も小岩も僕の先祖じゃないですから、たぶん)自分の想いとかやりたい事とか、ほとんど先祖やら過去の人の記憶だったりして、背負ってるというか、請け負って生きていると言う事の一部が名前の中には入っています。
名前と言うのはやっぱり大事なんだなぁと思います。
日本語の漢字は表意文字ですが、漢字には囲う作用があり、この「意」が「おしはかる」の意味、「音」は始めに説明しましたが「心」は「思考する場所」の意味ですから身体思考つまり意識の痕跡を囲っているのは明白です。
名前から読み取れる身体は「意」の身体でしょう。
この「意」の身体の姓は先祖からの繋がりを、名はその中での個人の痕跡を囲っているわけです。
それは、個人の記憶が多分に非ユークリッド幾何学空間にあるからかもしれません。
つまり正の曲点からは消えて、負の曲点にあるのではないかと推測しています。
「意識」の持ち込む「時間」がこの繋がりを妨げています。
この宇宙は三次元空間からするとほぼ平面ですが、相対性理論を生んだ非ユークリッド幾何学的なものは、古神道道教、また西洋の古いゾロアスター教ユダヤ教、インドのヒンドゥー教などにも見られます。
そこにある図形がヒントです。
と書いたのもここらへんの話しを含みます。
そして、おそらく身体の中で一番反応するのが丹田です。
やはり部位や臓器より意識に反応すると言う事でしょう。
今のところ、本人が体験してきた形が現れて来る。繰り返してきた意識運動の記憶が内面で空間の運動構造形になっています。
だけど目の前に達人がいたとしても自分の意識の運動範囲内でしか記憶を見る事はできません。
身体の内界に目を向けて何かを開拓したり追求してきたか?が鍛錬のしどころで、それは運動でなくても数学や文学でも構いません。


噺家や職人の身体も強烈な個性の方がいます。
また昔の人程残った意識が強いのは、この内面での適応力、自分しか頼りに出来ない状況への鍛錬度合いが現代人とは比べものにならないからでしょう。
例えばプロアスリートの存在は一般のスポーツファンにも多大な恩恵をもたらします。
大谷翔平羽生結弦内村航平浅田真央・・・それぞれに面白い身体記憶を擁しています。
その身体感覚はある程度感受性が開かれている人、或いは子供達の身体にも伝わります。
ただし、電磁波中毒や薬物に汚染されていなければの話ですが。
彼ら優れた鍛錬は記憶の世界に確たる存在となりますから、それを取り出して拝借する事も可能です。
例えば内村航平で見ると、左の胸の奥に深いラインがあって背中の運動構造へ繋がります。またそれは深いところで身体を割って技術を支えています。四肢の上腕筋と大腿四頭筋の強度と広さは客観的な空間の三倍はあるかもしれません。まぁ細かく集中すれば、いろいろ出てきますが、これらも名前からアクセス出来る身体です。
大谷翔平は頭上からの気の流れがびっくりするほどでかくて気持ちいい。
その点羽生君は細くてサラサラしています。

 

高岡英夫の世界ですね。笑笑
でも馬鹿みたいに簡単すぎて公開出来ません。


(もし、これだけが自分のやって来たことの報酬だとしたらある意味絶望的ですが)
これで多分各分野のプレイヤーには意外な事が分かるのですが、身体運動で最も高度な身体を作る分野は、思っていた通りでした。その身体がどの分野にもある超越的効果をもたらす事も予想通りの実験結果になりそうです。
これをあっけないほど簡易に利用することも出来てしまうのを、レッスンで確認してもらっています。
が、あまりに効果の高い方法なのが引っかかります。
身体能力は分野を問わず、時間の壁も無視してパフォーマンスを発揮してしまうけど、ちょっと怖さがあります。
意識をどう作れば良いかわかったらこの方法は一旦やめて下さい。


※特に混ぜてはいけません。


名前には呪術的な意味合いがありその人の意識を保存しています。だから、死んだものからすれば、名前を呼んでもらいたがるし、必ず文字が付随しています。それによって同化して時間を共有する事が出来るからです。
またそこには複数の意識体系が存在する。
だから、古代人は神官にしか文字の使用を許していませんでした。
西洋的な表音文字の世界でも言葉は神でした。それは誰もが同化力の強い野生的な身体を有していた時代の了解だったのだと思います。

人類の認知過程の話は興味があれば、お勉強も楽しいですが、言語学の世界はそのまま宗教学でもあります。


個人を苦しめている「業」とか「因縁」はアクセスする度に問題を発生させる因子になります。
それは今の自分が背負っている行動パターンに組み込まれ、病のほとんども、これらが因子になっています。
つまり過去の人の苦しみを背負って生きて、成就させる出会いを待っているわけですが、それら経験値の果てしない拡張運動が自然界の存在基盤になっている事も確かです。
しかも約三千年が記憶の寿命のようです。
こうして大まかに、記憶には素晴らしい影響を与えるものから、裾野の広い苦しみを与えるものまで様々あることの理由を考えるけどこれは精神世界の身体像です。
時空間の形象の話しです。

ただところどころ、見方を変えれば膨大な「整体」の技術思想もそこに見えてくる部分があるかもしれません。