はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

ものと生きものの続き

ウィルスもワクチンも物の側から見た方法の産物ですが、インフルエンザみたいに毎年予防接種するものにしたいのですかね?そろそろインフルワクチンも、市場としては誤魔化しが効かなくなってきましたしね。

現在のような薬物時代を作り出したのは簡単に言えば大学でしょう。産学協同研究で資金を得るのもあるけど、医者から技術を奪ったのは大学だし、人間を数字と数値で扱うモノにしたのもアカデミズムですから。テレビにも専門家ってのがいっぱい出てきましたが、人間を観ないから予測も対策もお茶を濁すだけでした。

 

以前プロフェッショナルと言う番組で失われかけてる職人の技術を特集していました。そこにもう九十歳近い漆鉋職人とヤスリ職人が出ていました。

このヤスリ職人が居なければ、今の脳手術で使うような精密なヤスリは作れない。だけど後継者がいない。

鉋や刃物と違って、こちらは機械にも作れない事はないと言うけれど、需要の少ない特殊なヤスリを作る設備投資は、工場じゃ採算が取れないから彼が死んだら終わりです。

その爺さんが言ってました、大量生産、大量消費で職人を食えなくして、結局最後の一人になっちまった。困るだろうけど社会のツケだザマァみろ。。正確な言い回しじゃ無いけど正直な気持ちでしょう。

こうした、失われてきた職人技術っていっぱいありますね。

もう、美術工芸品の修復も、道具を作る職人、材料を調達する職人がいなくなって、代替品に頼るしかない。すると製作過程の職人も消えていきます。

結局は満足に出来なくなって偽物、コピーを残すしかなくなってきますが、どこまで精密にそっくりに作っても、本物が道具や職人の技量を伝えてしまうのに対して、コピー機じゃどうもなりません。

漆鉋職人の爺さんがいなくなれば、個々の注文に応じた鉋、木の特性に応じる道具は作れなくなります。

そうすると、産業は益々中国産の安い漆に頼るしか無い。

これはかつての日本の某大企業が次々倒産、或いは弱体化した原因のパターンです。

機械産業によるコピー商品ばかりの市場、舶来のブランドばかりが高く売れる市場が社会を支える底辺の職人を殺してきた。

だから、没落しやがれ、ザマァミロ。って、そりゃ言いたくなるでしょ。

だいたい製薬会社を守る為に漢方だって使用できる成分を制限されてきましたからね。診断できる漢方医も育てられないようにしてきた。このコロナ禍でこれからの巨大製薬メーカーが牛耳る医療世界がどうなるのか見ものです。

薬について考える簡単な基軸は、それが身体に同化するかどうかです。化学薬品は同化しないけど、漢方薬は同化しやすいものが多いかもしれません。でも同化視点からは使い方が問題です。ワクチンに数%の犠牲者はつきものだって言いますけど、どんな体質の人、どんな身体のどんな季節の条件で悪性になるかって、それくらい研究すれば良いのに、未だにインフルエンザワクチンでも犠牲者をだしてます。接種すれば感染率を上げるだけで、たいして効かないんだから、犠牲者を減らす研究くらいしてもらえればと思います。それは医療現場の職域接種者が一番分かっていることでしょう。もう数年すれば感染する人間はワクチン接種した人と、その周りだけになりそうな勢いです。

 

以前ここで、自分の死体を見た事があると書いた覚えがあります。こう言う話しは一般的な体験では無い、つまり科学的では無いと言う事で興味の無い方も多いと思いますが、主観と、客観の起源と考えてもらえれば分かることもあるでしょう。

死体とは明らかに物質です。

その物質を観ている「私」、その私と言う意識はいくらかの領域を持っていますが、一度分離して再度結合すると、死体に入って生存状態が復元してから数日かけて私と同化し、通常の自分になります。

この謎の「私」にとって物質世界と言うのは、死体に依らないことには、ぼんやりとして見えない世界です。ただ私の身体であった死体だけがはっきり見える。

同化以前の「私」からは物質世界は無いも同じなんです。私と言う身体抜きの精神からは、確かに物質は存在しない無の世界です。逆に言うと、この物質世界では物質で出来た死体が具象です。ここには人間的な感受性の働きはありません。

生命の営みは純粋な物質の要素とは異なっているとも言えます。

この体験はある日、人を見れば焦点がすぐに見つかり、触れようとすると自分の体が霧のように拡散すると言う状態になった時期、背中が割れて抜け出てしまった経験です。

背中は背骨の指一本分横までが神経系、性の過剰箇所を表します。二本分が運動系の偏りを、三本分が血液とか循環系の問題を表してきます。他者との繋がりに比重が偏り、自分の独自性がほとんど消えた時にこの背中の中心から抜けたのは、生の因子が消えかけたと言う意味でしょう。

野口整体の見解では、人間とは集注存在なんだと仰る。焦点がその集注にあたるのですが、それはそのまま生存の有り様を言い換えたものです。整体で調律点と言うものを追求するのは、生と死の間に入っていく事でもあります。

あれから長い間、研究の仕方が分からないまま時間が経ってしまいましたが、焦点って何か、一生懸命悩んでいた時期に体験したヒントだったのに、それをずっとほったらかしにしてあったなんて「穴があったら入りたい」です。

 

上の「私」が死体に同化する過程、身体を感覚的な輪郭が覆うまでは、何日かの間があります。その間、身体の古傷や不調は自覚しないんですね。自覚は感覚領域にはありません。それが同化して生き始めてから体を感じた時に非同化の部分が出てきます。

体を感じる事はそのまま異化感で、その中に不調、古傷を自覚するのです。これは同化しようとしない異化物があれば自覚出来ない事も意味します。

しかし、この異化物も季節に合わせて身体が変わったり、身体の波で変化する過程に顔を出すこともあれば、その傷の記憶の背景から卒業して良くなった時に、人の手を借りて処理される事もあります。

 

私達を生かしているものは、知覚ではなく、この発生する自覚の元の働き、集注の編成にあります。

私と言う意識は物質を相手にした時に発生したのかもしれません。つまり物質由来と言う事ですが、それゆえに生存の特殊性が対象を感じる、他者を受け入れることを自覚の原理にしているのかもしれません。

 

面白いなと思うのは、ウィルスもまた死体からは退去していきます。生きていけないからですね。

でも己、私と言うものが体に依ればウィルスも依っています。つまりウィルスは生命の側にあると言う事です。そりゃそうです。私達の誕生はウィルスの作る胎盤によって支えられているのだから。

血圧や脈拍が環境によって変化し、適応するように、ウィルスや細菌なども体内環境によってバランスを取っています。そのバランスが崩れて細菌コロニーが大きくなれば発熱、下痢、嘔吐など排泄が始まりますね、つまり病気と呼んでいるこれらは、悪化の過程ではなく正常化が始まってからの過程で、細菌、ウィルス達の自己抑制であるとも言えます。

彼らは私達が祖先からの長い時間、環境に応じる変化の仲間として、我々の一部として、或いは人にとって禍いと呼ばれる想念の残穢として自覚出来ない彼らによって、私達は身体を自覚の対象とし続けてきました。

 

人間の考えることは、この抑制の働きを邪魔しようとする。熱を下げたり、恐怖を煽って耐性能力を下げたり、病人心理をくすぐって遂には殺してしまったり。薬で変異をひき起したり。

病気の治る過程と言うのは、どこかで快感があるものです。その快感をスムーズに引き出してやれば良い経過をします。

勿論抑制の働きに耐えられない条件の身体、他の慢性疾患と呼ばれるものがあったり、年齢的に寿命を越えていたりすると、この正常化への引き出し過程を助けてやらないと自力で無理な場合もあります。

だけど、上手く経過出来れば、コロナだろうが、インフルエンザだろうが、高熱ですから他の悪性因子を消してもいるでしょう。

 

身体の複雑さはこの死体と呼ぶ物質性、つまり視覚的存在と、私と言うものが生まれる空間的事象・・仮に幽体と呼んでおきますが、この同化運動体としての生命現象にあるのでしょう。

傷の記憶も病と呼ぶものも全て、同化過程の同化せざるものとして、再現されてきます。

例えば、この前換気扇が壊れたんですが大家が直してくれました。しかし、この新しい換気扇が大きくて張り出しているモノだから、しょっちゅう頭を角にぶつける。クッションを付けようかと考えましたが、いや待てよ、そう言えば怪我した時も対象と同化すれば良かった。程よい稽古になるなとぶつける時を待つ事にしました。

で数日経って、目から火花が散るようなぶつけ方をしたんですが、さっそく頭を換気扇の角に当てます。当たった角度を探してじっとしていると、普通打撲した時は対象と同じ形の線が輪郭を描いて打撲箇所に残っていますが、この輪郭が換気扇の角に戻って行くように消えていきます。

同時に痛みも無くなります。

あれもこれも当てはまる事があるでしょう。

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どう再現されてきたのか?どう記憶は消えてきたのか。同化することと同化せざる事と言う問題。ここに我々の経験の形成があります。

 

方法と言うのは必ず「安定性」が含まれています。対して技術は基本「不安定」です。

楽器の練習を見ていると、客観的に自分の音程がどんな事になっているかなんてみんなわかりません。だから録音してみて後で聴いて、全然あかんとか、思ったより良かったって言ってます。

勿論記録された録音の、耳に知覚する音には記号的意味しかないので、その記録以前の運動を身体で聴き取ります。

音程が何故ダメと言われるのか?本人にはその音が正しい音に聴こえるに決まっています。ところが教える方も昨日の音を今日は間違っていると言う。

客観的に正しい音はどこかにあると信じたい。そうすれば安定した気がする。でも安定とは死体ですからね。

音楽は複雑な多数の要素の運動です。生命現象の要素が模倣されている。だから聴くには熟練が必要かもしれませんが、ちゃんと聴ければ弾くことがわかります。

 

それと同じで、普通は変な弾き方を注意されて変えようとしますが、その弾き方はその人にとってそうしたい要求がどこかにあるから、正しい音に聴こえてしまう。ダメな音に聴こえても変えることが出来ない。それなら、その要求の先を得られれば良いわけです。つまり換気扇の角にぶつけた頭を当てるです。

すると、もう今の弾き方でいる必要がなくなります。

これを逆に弾き方の問題として良くしようとすると、明日には別の狂いが出てきます。

我々は教育方法の怠慢で、子供の頃から間違いは反省すれば正される。要求は我慢すると教えられてきました。今はそれの反動が起きていますが、どちらにしてもダメを反省するか、ダメを認めるかしか知りません。

どうも私達には科学で生命を解明するって言う希望が根強くある。科学も教育も要素分解で人間はアミノ酸だ、タンパク質だって言っているだけで、そうして発見したものは物質反応に使用する位の考えしか持てないのが今の社会の創造性です。

ちなみに最近物質の中に発見されてしまったトポロジカル相転移に見られる質量0のワイル粒子は、本来物性の性質ですが身体の中にもある性質で、これを活用し始めれば、結局死体解剖と同等な見方しか出来なくて、人間の知性では手に負えない事態になる。

そこで、生命現象から切り込むのが前回の

「方法を追求して効かないから駄目だと言う人は技術と言う事の分からない人である。」

と言う言葉です。

演奏の例に戻りますが、技を生み出すには自覚している音を消して音の側から弾く身体を見つけ出すことがセオリーになります。

音を聴覚に同化させるのではなく、音に同化させてもらう事です。

そうすれば、練習でも「音楽に弾かされている」と言う世界が開けます。

 

ところが・・例えば自己を他者と見做すのに、上手と言われる演奏者、客観的正確さを持った人がいます。

見事に弾いてみせるけど、聴く方は目の前でスクリーンに音を並べられている様な感じです。こちらも客観的に眺めるだけです。

客観性と言うのは、いろんな日々の営みを他者性に塗り替えてしまいます。そのピアニストは普段から客観的に音をモノの配列として見ているのでしょう。でもこう言う人は増えているし、コンクールも獲る。

「そりゃね、納得出来ない結果になる事は多いですよ。でも減点が出来ないんですから仕方ないですよ」と聴き方を知っている人が言う。

審査員の耳も徐々にデジタル化しているのでしょう。

減点方式って言ったって、別にステージでナメんなよ!って弾いたって良いですよ、映像化されるよりかは遥かにマシです。

だけど、商業音楽コンクールじゃないでしょ。。

 

演奏会とかライブの良さは、そもそも生命が溌剌としてくることですよね?

生命の側にある〈何か〉が働き出すことの為に必要なことはなんでしょう?先ずは観客が自分の身体性を発見すること、普段出会わない自分に出会う事ですよね。それは演奏者にとっても同じです。互いが音楽を通して未知の自分の感覚に出会う、自覚すると言う事じゃないですか。

だから客席に大物がいっぱいいると、本人は無自覚でわかりませんが、素晴らしい演奏会になる事があります。

上手く舞台をこなすには客の集中を上手く惹くことと風姿花伝に遡るまでも無く、舞台人ならみんな知っていますよね?

それは、この集中が自分の身体になるからでしょう。

そこには当事者がいるだけで、客観者はいません。

そして当事者に「私」と言う主語はつかないんです。

 

 

ちょっと付け加えますけど、コロナ感染は今空気感染説が有力みたいですね。だけど具体的にどううつるのかは分かっていない。
その事とワクチン接種で感染が増える事には繋がりがあります。
それからアルコール消毒とかもウィルス学者ですら意味がないと言いますけど、これもどちらかと言うとやりすぎはリスクを増やす方に入ります。これらはどれも身体でガス化しますから。

滅多に感染機会は無いけど、ありそうな人達にガス抜き、邪気吐きをしておけばと言ってきました。これは予防になっていると思います。(活元運動の始めの誘導運動です)

実際一般の解釈で言えば僕も二回程、感染と言えるのかはわかりませんがありました。一度目は4時間くらいかかったかな、二度目は毎日30分三日吐き出して消えました。

誰からどう言う形で来たかもわかっています。

経路はまぁ普通に言われているものと違いますから、空気感染と言うよりガスでしょ。
あまりに実体の無い恐怖が膨らみすぎて(意図的にやってるなと思いますけど)バカバカしい犠牲者が出ていますからちょっと話しときます。

発症しても軽度とか重症になるとか、いろいろですけど、普段から季節の変わり目には風邪をひくとか、インフルエンザくらいは寝てれば治ると言う生活をしていれば、罹っても大した事にはなっていません。と言うより、普段熱を出せない人が罹かれは大変なのは当たり前です。


それよりも、今回のワクチン接種は卵巣に溜まるという実験結果は公表されていますが、今回にかぎらず大抵は溜まるものです。これがもう本来のコロナに対して最低な作用ですよ。
これが分かった上でやらせている人達がいるとしたら本当に悪質です。

嫌な世の中になったものです。