はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

霊能というもの


 雨の日が続くと、部屋を綺麗にするのが大変だ。
 別に洗濯物が溜まるとか言う話しではなく、空気や場の澱みの話しだ。

  狭い部屋のしかも鰻の寝床型賃貸ルームには窓が一つしかないし、水場の位置を移動出来るわけではないから、やはり空気の澱む場所は澱む。
  場の澱みは外に出かければいろんなところに在る。病院や役所、風水に言われる気の流れが悪い行き止まりの場所、墓場の側やいわく付きの場所。
  例えば僕が昔住んでいた成増に事故の多い場所があったのだけど、そこは地下を通る河川と地上の車の流れが交差し、道路の起伏で特殊な場が形成されて人間の感覚が影響を受ける条件にあてはまっていた。都市にはそんな澱むスポットが点在する。

  澱みは何故生まれるのか?
 先日聞いた話では、藪というのは自然には生まれないそうだ。何らかの地質的変動や人為的工事などによって地下水脈が変わった時に地上に藪が出来、その地下水脈が何年もかけて安定すると藪は自然に消える。
 変動のバランスを取る役割として藪という澱みは生まれ役割が終わると消える。
 自然界に属している身体も同じ。
 何らかの変動が起きると、表面的には藪の代わりに病や腰痛などの澱みが生まれ身体内界の流れが整うと自然に消える。表面の藪を無理に刈り取っても次から次へとまた藪は生まれる。
 自然界にとって一つの民族自体が澱みになることもあるだろうし、種族ごとそうなることもあるだろう。大事なのは我々の地下水脈にせめて人為的な変動を与えないことだ。
  一度壊した水脈は原因を取り除いても元には戻らない。

  部屋が澱んだ時は、やはり自分の人間関係やメンタルな部分の流れが何らかの打撃を受けて変動しているだろう。その地下水脈が流れを取り戻すには、堰き止めている何かを手放すか焦点を変える方が良い。そうすれば自然が流れを整えてくれる。成増の道路のように固着されたら、ヘルニアだから切るとか麻疹の予防接種をするとか腫瘍はとにかく切るとか。。すると地下水脈もよほどの幸運がないと上手く流れないままになるだろう。一度出現した藪が消えるには何れにせよ時が必要だ。

  人の出入りするところは普通には淀みにくいが、感情的なエネルギーが発散されれば別だ。或いは建物の作りも関係する。そんな時は、拍手やシンキングベル、はたき等の音を用いた日本の伝統的な方法で払えるなら手っ取り早いが、先ず部屋の隅から掃除する。それから塩を焼いて四隅やうちの部屋では気の流れが澱みやすい北側に配置する。さらにセージがあれば焚いて部屋を燻す。仕上げに自分の身体を簡単な瞑想の後、塩水で流す。
これで普通は良くなるが、人の出入りが多いとたまにとんでもないものが紛れ込む。

 いわゆるあちらの方々。

 たまに良いお香の香りがする友好的な方もおられるけれど。。
 身体にくっついたものなら叩いたりガス化して出せば良いが、救いを求めていると「寄り添って」苦しみを吐き出し続け、より感応性の高い人間を転々としているので厄介だ。こういう時はうっかりバイクや車に乗ると危ない。安全運転をしていても道路に飛び出したり、無理に横断しようとする年配者に必ず出くわす。以前にもそれで葬式帰りに事故にあった少年や寺の娘がいた。
でも、今の福島はそれどころじゃない。実際に被災地で母親に連れられた女の子がなんでもない水溜りの上を歩いただけで引き込まれて骨折した例もあるくらい実害がある。
他にもおいおい平安時代ですか?って話しや四谷怪談か!っとツッコミを入れたくなるトラブルも多々あるけれど、僕の場合は基本鈍いので助けを借りながらなんとか凌いでいる。
 
 現象が動くには見られる側と見る側が存在する。見られる側には事故や突然の災厄、因習上の犠牲、犯罪の他、自分の苦しみや悲しみ不幸を、他人のせいにしながら亡くなったケースも多い。彼らはしばしば同じように自分の苦しみが他人のせいだと思い込んでいる人間に共鳴し、自分を感じとったり、見た人間に救いを求めて移動する。
その媒体者(見る側)の中に職能化する人達がいるけど、そういう一部の人達の感応性、霊能と呼ばれる現象は、卵巣の集注化した亢進状態、過敏状態であるケースが多い。この卵巣にある「辺りを照らさない光球」として見えるものを散らすと影響が消える。この事の重要性はさて置き、実際に身体症状から感受性まで変わる。
もちろん普通に生活する分には、見えない方が良い。彼らに共鳴しなければ影響を受けないから。しかし彼らはまた我々の暮らしの地下水脈でもあり共鳴する文化自体は暮らしの屋台骨でもある。

  今回は怖い話しをしたいわけではないので詳しい話しは避けるけど、苦しみの記憶が新たな災厄と共鳴し踏んだり蹴ったりなのを日本の古い統治者達は恐れてきたが、どうも近代日本は先の戦争の当事者と共鳴し恨みを晴らしたがってでもいるようだ。
僕らは今の日本の歴史の地下水脈が干渉する強力な澱みと、それが引き起こすであろう事態に沈痛な面持ちでいる。

 最近十年ぶりに整体の稽古場に顔を出した。本当は最後の挨拶のつもりだったのだけど、直前とんでもない出来事のお陰で生きながらえてしまったので、そのままのこのこ通っている。

 が、相変わらず異端感は半端ない。。

;"> 身体を探求する者にとって当然我が身は第一の研究対象であるから、身体の変動、病も全てはその観察によって直面することで人生と身体への鍛錬とし、自身の人生への責任を貫こうとする。
 それは死の間際まで。
僕が稽古していた頃、ある先輩が亡くなった。後で聞いた話ではある一つの身体の世界を内観出来るかどうかがその病状の明暗を分けたそうだから、壮絶な痛みの中、最後まで稽古部屋で自己の世界を探求し続けたのだろう。時折あの厳しい死顔を思い出す。