はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

天路の旅人

 

沢木幸太郎を読むのは「深夜特急」以来だと思うのだけど、この「天路の旅人」を執筆し始めたのは沢木さん五十歳の頃からになるのかな?足掛け二十五年掛かりとある。

ベースになったのは「秘境西域8年の潜行」と言う、西川一三が戦時下の満州及び内蒙古から、日本の支配力の及ばない地を、密偵蒙古人ラマ僧として旅した記録。

中国の奥地を移動する遊牧民や商人、巡礼者に紛れ、ラマ僧に扮して未知への好奇心と、生きる為の過酷な旅を続ける中、途中から托鉢で命をつなぐ巡礼の旅へと変わり、敗戦の報を確かめる為の旅はいつしか無欲、無想を身につけていく。

他の作家で西川一三を紹介してる方もいるけど、西川さんが7年まで存命しており、沢木幸太郎がインタビューと埋もれていた生原稿を得たのは読者にとって幸せな事に思う。

その濃密な八年の西川一三像と、巡礼者を受け入れ施しを習慣とするアジア世界の人々。

時には盗賊に出会い、騙し騙されるも、バイタリティに溢れた、あのアジアのイキイキとした眼を持つ人々の懐かしい時代を描き出してゆく。

 

西川さんが扮したラマ僧ラマ教チベット密教として知られている宗教で、インド仏教と土着のボンと呼ばれる祭祀が融合したものを指す。

このボンの影響は仏教を激しいものに変えたのだけど、それはまたチベットブータンの厳しい風土そのものであり、その中で過酷な旅を続ける西川一三にも自然と自身の内からラマ僧としての生き方が芽吹いてきたのだろう。

しかし、彼の佇まいや行動はやはり日本人であり、芽吹いた宗教性もどこか禅者のような振る舞いになる。

西川さんとは事情が違うけど、当時スパイ活動は僧侶や道士に扮する事が多く、僕も陸軍中野学校卒業生が作った会にお世話になったことがある。

陸軍の密偵として機関から送り出された人達は、先ず現地に溶け込む為に寺院道院に入ることになる。その中には幸運にも修行だけで戦争を終わり、日本に道院を開いた方もいる。

映画「ビルマの竪琴」のモデルは雲昌寺前住職 中村一雄と言われているが、多くは戦地での体験から剃髪したのだろう。

しかし、祖父達がそうであったように、失われてしまった日本と共に口を閉ざし、世の中に背を向けて生と死に向き合っていく生き方を選ばざるを経なかった復員兵は他にも多くいた。

 

しかし、この本に出てくる西川一三や木村肥佐雄は銃を手にする事無く、終戦を迎える。

共に強制送還された木村肥佐雄は、その後ダライラマの兄やペマギャルポの世話をし、亜細亜大学の教授として活躍するのだが、西川一三は旅の記録を執筆する以外になんの興味も無かった。

彼らが執筆出来たのは、兵隊として人を殺さずに済んだところが大きいだろうけど、その逞しい冒険心が運命付けられていたからだろうか。

 

彼の人間らしい生活は、沢木幸太郎が手にした原稿に残る戦後日本への慟哭と共に消え去る。

その後は盛岡で商店を営む日々を送ったが、その生活は僧院にいた時のように無欲であったようだ。

帰還した日から、変わってしまった日本人の中で一人、旅を夢見る事になってしまったのだろうけど、それは沢木幸太郎も同じであったのだろう。

 

「秘境西域8年の潜行」の五年後に発刊された藤原新也の「インド放浪」をはじめ、「メメントモリ」は僕の学生時代ずっと机の上にあった。

当時は学生運動も過去のものとなり、代わりに精神世界のムーヴメントがはじまっていたし、バックパッカー達も若さに任せてはちゃめちゃな旅に出ていた。

 

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