はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

変えたい常識

この子は何も問題無く出産するだろうと思っていた子が、最後の最後、子宮口が開いた途端に止まってしまったと言う出来事があったのだけど、その後で「君は自分が生まれた時は自然出産だったのか?」と聞いたら促進剤を使ったらしいと言う。

あーそうだったのか、全然分からなかったなぁ、、と思ったのだけど、薬物はわからない事が多い。

この前もネットニュースに妊婦さんが無痛分娩にしようとしたら、姑に反対されたからやり返した云々と言う記事があって、それに対するコメントは大半がよくやった!安全安心な無痛分娩を否定するなんて愚かだ!自然出産なんて前時代的だ!と言う意見が占めていた。

確かにお母さんは楽に産めるかもしれないが、身体に手を加える事を軽視し過ぎてやしないだろうか?

どう言う事かと言うと、人類は長い間自力で出産して来た、それは他の生き物達も皆同じ。

その長い生命を繋ぐ営みに人工的な薬物が使われ出したのはこの四、五十年の事。

医学的に問題は見えないのだろう。対処療法の考え方からすれば、子供に問題が起きればその子を治療すれば良い、と言う考え方になる。

しかし実際には出産時に手を入れたタイミングなどで個人差はあるものの、自身が促進剤を使われ生まれた子は、自分が出産する時に自然に起こる筈の「いきみ」が起きない。

つまり子供は出産プロセスの記憶を母の記憶からコピーしていると言えるのだけど、大人になって妊娠し、陣痛が来て順調にプロセスを辿っていても、自分の中にある母の出産プロセスが記憶として途切れると、自然な生理的働きが起こる為の記憶も途切れてしまい、自分でなんとか作り出さなければいけなくなる。

促進剤じゃなくても、無痛分娩で生まれた子は麻酔の記憶との戦いだし、帝王切開にも勿論子供にとってのデメリットはある。それはこの20年くらいで社会に現れて来た。

薬もメスも使うなとは言わないが、あまりに乱用され過ぎている。その理由が医師側の勤務時間だったり、訴訟回避だったり金儲けだったりなのは論外。

産道を通る機会を失ったその子は、人類が引き継いできた出産の為の記憶をなくしている。

もしその子が大人になり、結婚して次の世代を生む時に、その子は病院で産めば促進剤なり麻酔なりを使えば産めるだろう。しかしその次の世代つまり孫世代で、もし医療などが間に合わない環境にあったらどうなるのか?

たいへん危険な目に会う可能性があるが、再び人類の記憶を取り返す為に命がけで頑張ることになる。

それを医学の勝利と呼ぶのだろうか?

話しの最初の子は、病院も薬は出来るだけ使わないと言う方針だった為、気を失いながらも約三時間をかけて自力で産んだ。おかげで子供にもその記憶を手渡せて良かったものの、医療者には順調に見えたお産が、何故最後に手こずったのか分からなかったらしい。

助産院が消えてしまったのも、こうした自然出産出来る子がここ数年で急速に減った事が一つの理由だろう。

薬物の濫用が僅か数年続いただけで「出産は人工的なもの」が常識となってきた。

そうした風潮は一般的な治療常識となって、自分の身体に自分で責任を持つ事すら反社会的人物との烙印を押されかねない時代を作る。

以前ある子が出産をした時に、産婆さんを紹介したのに一人で産んで臍の緒を切ってケロッとしてた強者がいたけど(しかも二人も)、動物的な野生と言うか、原始的な感性が残っていればそれが自然な要求に基づいている事に違いない。

出産が難しくなるか否かは出産までの身体の問題で、自然に受胎するなら身体にその力があるし、環境に耐えられないと感じていれば生まれない。

年齢は関係なく受胎する前から身体が整っていれば普通に自宅で産んでも問題ない。と言うか、自宅の方が楽に産めるもの。それを病院じゃなければ産めないと思っているのは、出産は自分の力では無理と思い込まされて来たからで、それはある意味女性に対する医療メディアの勝利だろう。

まぁこう言うことばかり話していると嫌われるけど、ツケは後の世代に回して誰かが解決してくれるでしょう、人類が劣化した分をAIがなんとかしてくれるでしょう。と言うのが一般的感覚なのだろう。現代に生きる我々は、長らく生存の為に獲得して来た人類の遺産としての身体智、身体記憶を破棄しているが、それが利益至上主義の故なのはやるせない。

「異次元の少子化対策」だかなんだか知らないが、世界人口の中で弱い種は淘汰されていく。今の「異次元の少子化促進対策」を止めて、生存のバイタリティを取り戻す方向に舵を切れないものか。。

 

先日ある子が血尿が止まらない、腎臓が痛いと連絡をしてきた、

遠方なので、いくつか脊椎のチェックリストを送って返事を待った。

話しによると、ヴァイオリンのレッスンで指摘された部分を無理やり直そうとして腎臓を痛めたのだと言う。

実はこうしたトラブルは多い。

程なくD10の中が真っ赤だと言う連絡が来た。

腎臓かどうかは怪しいけれど、ひとまず内出血を処理してもらう。それから捩れを見つけて処理したら、その一つ奥が気泡だらけだと連絡が来た。

とにかく出血は確からしい。その処理もやってもらってもう一度チェックリストを送る。

身体の異常感も腎臓の痛みもだいぶん楽になったと言う。

そうこうしながら、一週間後に少し元気になったご本人がやって来た。

脊椎を観察してみると、かなり頑張っていて大人しくしているところが全体のニ割くらいしかない。

腎臓はと観ると右が居ない。

それは左の脇腹に見つけてそのままアンカーにしておく。

とりあえず出血の処理は出来ているはずなので、上から身体の頑張り方を流れとして観て、その中心となるところから始めてみる。

 

僕としては話しを聞いた時点で、遠方だし実は病院に行きなさいと言ったのだけど、行かずになんとかならないかと言うので、LINEでのやり取りとなった。

僕も滅多に病院に行けとは言わないけれど、本人が自分でなんとか出来ると思っているなら出来るだけ協力したいと思っている。

実際切羽詰まっていれば、思わぬ集注力を発揮する。そこで自分の身体を観る力を付けていけば、いざと言う時に自分を助ける可能性は高くなる。

僕はいつまでも機械に依存した医療が栄華を誇るとは思えないし、ほんとのパンデミックが起きた時に医療は間に合わないと思っているので、若い人には出来るだけ身体の観方を身につけておいて欲しいと願っている。