はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

会津の〈おもい〉

今年の大河「せごどん」は時々見ていたけど、実在の人物を扱うならもう少し史実を考慮した方がいい。最近の大河は特に史実の歪曲が酷いと言うか、歪曲のさせ方が酷い。ほとんどファンタジーだ。
最終回を見た後、本箱から石光真人編著「ある明治人の記録」中公新書が落ちてきた。

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一年前に探していて出てこなかった本だ。
どこにあったのだろう?と思うんだけど、本の出入りが激しい棚から落ちて来たのが謎だ。
この本は以前盛岡の駅で暇つぶしに買った本で、会津藩士の子で、義和団事件の折に沈着な行動が世界の賞賛を受けた柴 五郎翁の遺書及び記録を編集したものだ。
あー「せごどん」には憤懣やるかたないだろうなぁ・・と手に取りパラパラとめくった。
明治維新の暗黒面、朝敵の汚名を着せられ、母も姉妹も会津城で自刃し、下北の野辺地に移封され飢餓に長く苦しんだ後、東京に戻って見れば下僕扱い。陸軍士官学校に入ってすぐに西南戦争が起こり隊付けとなる。
不当な刑罰に苦しめられた後の事であるから、会津雪辱の機会、一矢報いるべし。
しかし、西郷は会津の立場、志しと同じであると思う者もいたし、会津の怨みを政府に利用されるのはお断りだとするものも多かったようだ。
柴五郎は陸軍大尉として台湾軍司令官を勤め、大正12年に予備役となる。
以後日本軍部の劣化、低俗化を憂いながら昭和二十年に亡くなる。
大戦が始まるとすぐに「この戦争は負ける」と宣言したが、彼の満蒙に対する実体験に基づいた意見も願いも虚しく、日本は蒋介石から「日本人は百年先は勿論十年先を考える能力も持たない」と呆れられた。
現代の日中関係を考える上でも、中国通な会津人の視点というある種 特異な立場は貴重な証言だろう。
安倍政権の熱が冷めて来たこの時期に、或は次の大河あたりに取り上げられるといいのにねぇ。

昨日アップした記事は「逝きし世の音」