はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

身体の基本

毎月一度だけ、太極拳と称して極々少人数で教室をやっています。
実際は太極拳套路をやるところまではなかなか時間内に辿りつきません。
どんな身体で套路をやればいいのかと考えているところもあるし、太極拳と言っても流派はいろいろで、各個人の身体にとって正解があるわけでもありません。
形だけ太極拳をやっているつもりになりたい人は来ないから、少し整体よりのレッスンをする事もあります。

日本の武道や芸事の歩法には他の国にない工夫があります。
定期的にやっている稽古ですが、蹲踞のまま前に進む動作を膝行といいます。
たまにやってもらうと、ぴょんぴょん飛び跳ねるように進んだり、足先が離れたままグニャグニャ進んだりと、なかなか面白い動き方が見られます。
時間に限りがありますから、2時間弱しか続けられませんが、普段股関節で受け止めているものが変動として身体に出てくることもあります。

動作本来はお尻の高さが平行に進むことを狙っている型だから、流れるような移動感が欲しい。
上半身で下半身を引き摺るようなのは勿論、体勢が崩れてはいけない。
ここら辺は鼠蹊部が切れていれば良いのだけど、重心が下に向いていないと崩れてしまいます。
足の両踵は離れないようにして、前膝を落とすと言う動力だけで進んでいく。
ここでのポイントは足首です。
僕としては、足首を締めるのが定期的にダメの限界に来るとやる稽古です。
上体はほとんど正面なのに足だけ派手に動いてるように見える。しかし、股関節は通常歩行の動きと変わりありません。
立つと大腿骨の付け根の骨で歩く感じです。(お尻が揺れない)
この足で進むとか、歩くというのが、現代人には難しくなっています。
膝行が出来ないとは、足を使って歩いていないという事になるのです。
しばらくやっていると股関節と周りが分かれて感じますから、歩きやすくなります。
太極拳だと、どうしても股関節周りの筋肉に流麗な動きを求めてしまいますから、この骨の感じは分かりにくいのです。
うちにもリハビリ病院に行ってる人や、毎朝太極拳をやりに公園に行く人、ウォーキングがてら犬の散歩に行く人がいるけど、見る限りでは、綺麗に歩く人ってあまり見かけません。
それで足裏に当たるよう靴底に挟むものを作ってみたり、草鞋や下駄を改造してみたりするのですが、そもそも草鞋で外出する勇気ある人もいないし、すぐにアスファルトでダメになりますからねぇ。

「歩法」には雑な動きを消すとか、場を作るとか、芸事に応じた所作や原理、力や運動の伝達など、様々な目的が含まれています。
そんな事に関心が無くても、農業に従事する人の歩き方、山に登る人の歩き方、デスクワークで頭が疲れてる人の歩き方、一日中立ってる人の歩き方は違います。
さらには衣服の違いによる歩き方の違い。履き物での違い。
男女の違い。
威張りんぼや、ゆとりを演出する歩き方、不安な人の歩き方、オシッコを我慢してる人の歩き方、意図的に鍛錬する歩き方がある一方で腰痛など身体の状態を表して様々な様態に影響され変化します。

基本的に膝行は膝に重心がかかると、とっても痛い目にあいますから、キレの良い足の速度を見つける事が大事になります。
何の為にこんな動作を生み出したのか?昔の人の身体のセンスはとてもエレガントです。

ヴァイオリニストのK先生が、しゃがんだまま歩かせたらAもBも腰が使えるようになった!と喜んでいたのは、腰とお尻が分離することが出来た。と言うことらしいのですが、やった人に見せてもらうと、膝行の縦回転。
若干うさぎ跳び的な…
初めてK先生の指導の仕方を聞いた時に、演奏家の身体がとても内観よりなのには驚きました。
腰とお尻の分離、鼠蹊部の運動、手首の極め方、内の伸びと外の曲げ方、胸と鎖骨の運動、手指の感覚、丹田の見つけ方、目の深さ・・・構えるだけで諸々の課題を挙げていきます。
提供される生徒の側からすると、大半の追いつかない子達と、既に自分である程度作り上げて吸収して行ってる子達にわかれます。
D先生も仰っていたけれど、この一二年腰とお尻が区別出来ない子が突然増えたように思います。
その前は腰の抜けた男の子が多くなったなぁと言う印象だったのですが、最近は女の子も同じで腰を反らす事すら出来ない。
それは想像もしたくない社会の暗示のように思えます。
子供達の身体がより鈍くなって身体の教育が通用しなくなれば、音楽一つとったって、本来の音楽と言えるものはただの面倒なものになりますから、消えていきます。
国と言う組織のする事はいつの時代も破壊ですが、現代は破壊の規模が大きいですね。

現代社会が生み出した身体を差し引いても、教える側はよほど上手く組み立てないと、生徒の側はレッスンが終わるといつもの身体に戻して、次のレッスンは別の課題として受け取ります。
これは、全体が見えている中での一課題として受け止めれるかどうかになってきます。
が、全体がわかっていれば、そもそも弾けるから、おいてけぼりは無いのですが。。
演奏であれば、唯一絶対の骨格は「音」を体験することでしょうか?であれば、究極の音を探求する事が「中心」になっても良いと思います。
そこをクリアすれば曲想の発見に持って行くくこともできるでしょう。

じゃあ膝行は何の全体で捉えていけば良いのか?と言うと身体の運動様式が現代体育とは違うところにあります。
目的は前に進むではなく、床や畳に寄りかからない、所謂「いつかない」こと床に触れる前に型が決まっている事です。
言い換えれば身体に様々な世界を受け入れる事への転換でもあります。

次回の教室は23日
7月は21日です。
バンドエイドがいる人は用意しといてねw