はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

整体考その壱

「整体」ってなんですか?と聞かれる機会は多い。
巷のイメージは無視しても、「整う」「体」の「体」が曖昧な概念だと「整う」が何を整えるのか、何が整うのか、整える自体が一体どう言う事かなのか分からない。
整体は状態の事だと言っても通じない。
第一「体」が「心」や「感受性」と密に連動しているのだから、話しの前提は幅広い。
そこら辺を確認しながら話すのは大変で、ある程度認識をしている人でないと、ファーストコンタクトでさようなら、になる。
結構考えてもらうのは面倒で、柔軟性もないと難しい。
僕としても聞かれる相手毎に答えを考えるのはとても面倒くさいので、このブログでこう答えると通じるんじゃないか?的な事をぶつくさ書いてみたりしたこともある。
だけど、このところ続けて「整体の勉強してます」「整体の学校に行ってます」と言う若者に、「じゃあ野口整体って知ってる?」と聞いた返答が、速攻「知りません」だったのでちょっと驚いてその後何をどう説明していいのか考えこんでしまった。
で、ちょっとメモっとこうと言う訳です。

最近はいろんな学校があるし、情報が溢れていて、ネットのプレゼンテーションが上手いところはたくさんある。
いかにも気軽に出来て、後は貴方の経営手腕次第みたいな論外なのも多い。
巷の整体の看板は多岐にわたっていて一番多いのがカイロやオステオパシー、次いでスポーツ医学系、マッサージかな?
身体を扱うものも、心を扱うものも、習い始めは人体を操作出来る願望に取り憑かれやすくなるもの。
そう言う人達の身体イメージってどんどん単純な身体像になっていくものです。

そもそも学ぶものを選択する前にじっくり身体経験に向き合わないと理想の身体思想を持ちようが無いのだけれど、それにしても時代の価値基準に合わせた身体観にある程度の社会的保証があると思い込んでいる上に、情報過多では自分の身体経験を信じるのが難しくなる。
そもそも自分達が信じている人間観がどう言うものか疑問を持つのも難しい。
しかし多分整体してもらおうと思っている人達は現代医療に疑問を持っている人が何割かはいるのだから、そこに現代医療の延長線にある身体像を持ち込むのはおかしな話しである。
もし患者?が医科学の身体像を信じているのなら、わざわざ手技なんかに頼らないで、病院に行けば良い話しだから縁がない。

その疑問を持った人達が、何故持たざるを得なかったのか?を考えてもらいたい。
人間を対象にする仕事に限らず、一生自分の身体に自分で責任を持っていたいとか、なんらかの技術を習得するとなったら曖昧なままでは済まないところがあるから。

僕の時代は療術家を目指す人間は勿論、武術やスポーツ選手や音楽家など身体を追求する人達が噂を辿れば整体協会的な、社会の影のメジャー的存在だったのだけど、いかんせん敷居が高いとか、メジャーは選ばない的なへそ曲がりが(僕?)何処かで罷り間違って思想に触れた途端に取り込まれるところだった。
その技術は難解で、習得は困難。まず十年は何をやってるんだかわからない。。
行く前に習得には才能があっても二百年かかるとあちこちで噂を聞いていたから覚悟はいる。
けど、それは二百年だろうが千年だろうがお勉強の時間換算では不可能だよと言う話で、結局、技術者の才能と経験、身体にどんな思想を持っているかがスタートライン。(その点年寄りには敵わない)
この一回のセッションに何をするかは全人格の対話であるから、こうすればいい、あぁすればいい、は全く邪魔になる。

方法も形式も習ってはいけない。それは教える側の方便だから。

体術分野には稀に天才と言うしかない才能が世に出る。
その才能を他者が再現する事が出来なければ後の世代には、絵に描いた餅に終わる。
野口先生の残された膨大な講義記録の中には、人間観察に関しての話しの他に教育、出産、死、芸術論、心理など多くの講義がある。それら全てを含めて「整体」と言う世界をあらわしている。
未だ活字になっていない資料も沢山あるようだから、僕みたいなぐうたらはその分量を目の前にしただけでパチンって、何か意識のスイッチを切ってしまう。
その膨大な量は、人間世界に言及し尽くすとこんなんなるよ。学習して覚えるとか、知識のカケラでやり繰りするとか愚かな事だから、「世界を生み出す源泉から人間を観なさいよ」と教えたかったに違いない。
と、頭の悪い僕は、悪い頭を使わなくて済むように解釈して、探究する。

僕達が普段ストレッチしたり運動したり、病気になった時に薬を飲んだりする身体は社会が共有する身体像と未知の身体が混在している。
ストレッチやスポーツ科学の身体は意識可能な身体でこれを錐体路系と言う。
もう一つは生きて行く為の調整作用を示し、身体に不具合を発生させるベースになったり、逆に身体の偏りを取ったりピアノの細かい指使いを可能にする無意識に働く運動系。これを錐体外路系と言う。
現代医科学はこのうち錐体路系のみを扱っている。薬物も錐体外路系がどうなるかはわかっていない。
頭の働きにもこの錐体路系と錐体外路系があるとすれば、普段学習し考える頭は錐体路系で身体の無意識領域や感覚的な認識は錐体外路系と言えるかもしれない。

問題になるのは、どんな身体に触れているのかで、こちらの主観で触れる身体はそこにはまず無い。と言うこと。


つづく