はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

かたち の 不思議

この二ヶ月あまりヴァイオリンの肩当て作成に追われて、すっかり工房と化しています。。

そもそも手作りの靴ベラを手にしたのがきっかけで、「あら、この形は!きもちいい。。」
研究してみたかったやつやな。

「肩当てに良いかも」

と同じ形を探したけれど見つからない。

もう作ってしまえ!

と、禁断のノミを持ち、空いてる時間にせっせと彫り続け、休日も朝6時から彫り始めて夜8時まで休憩は一時間。
その甲斐あってか、かなりコツを掴んで早く彫れる様になったけど、いつの間にノミタコが!
違うな、力の入れ方も持ち方も。
この削り方だと身体の認識は・・だし、指の当て方は・・・あ~板の上に乗ってやればいいか。削る運動がここなら鎖骨から腕に丹田つなげて…
みたいな事に熱心になって注意がちょっと逸れた途端に本業の方が大変な事に。。
ちょっとタコが消えるまでは自粛しなければ。。

まぁそれは良いとして、一ヶ月は肩当ての大小作って試して貰っていましたが、どうも固定が上手くいかない。
ある時ふと曲面を重ねて身体の中心を探している自分の行動に気が付いて、改良版が出来ました。(胸が腹になってるひとは胸に、頭の人は頭に変化が起こりますけど。)
さらに正確な形を見つけるのに大小様々な板を作ってみて、遊びながら原理を考えたり、働き方と組み方で集中の手続きを分かりやすく出来ないか。。。とあれこれ、、
この曲面の正しい比率は何の感覚に求めるのか?最初はやはりそこが問題でした。

しかし、削るのは時間がかかる。
手の平サイズでも硬い木だと8時間はかかります。それが約30枚。
お尻が載っかるサイズだと一週間。
木によって削り方を変えたり木目で力加減を変えながら、やっと6枚一組出来ました。
ここまで二カ月近く掛かってしまいました。
実際に出来の良いのはまだ数枚で現在削り直し中ですけど。

演奏上、楽器を左肩で持ち上げると腕指の動きが縮んでしまう。おまけに通常の肩当てを当てると、そのぶん音の振動が減ってしまう。
そこで無理に鳴らそうとすると、弾き方の方がおかしな事になってしまう。
それで肩当て作りを思いついたのですが、そこは方法を変えて耳の位置問題と捉えれば、それはそれなのだけれど。

そうじゃなくても、例えば昔のハイフェッツみたいなポジションにすれば良いのだろうけど、言うのは簡単です!と怒られる始末。これも身体の都合、アップダウンの腕の振り、楽器とのコンタクトをちゃんと検証してみれば基本はどうしたいのかわかるでしょう。

今回のブームはその癖をプログラムし直してもらう為のきっかけになる?かもです。
つまりその癖が無ければ本来はどんな音なのか?を体験してもらうということ。
とりあえず、うちに来ている人の分は作って見ましたが、更に改良を加えて、面白い事も分かって来ました。
が、この数枚の改良版では付け無いより肩当てを付けた方がより鳴るという感想を頂きます。
どう言う事でしょう。

肩当てがぴったりくると、弾いている本人の空間が消えます。

これは心地良い。

演奏の作為が気にならなくなります。

簡単に言うと通常の肩当てには音の響きを吸収する作用があり、スポンジであろうと、挟む形態であろうと方向性が存在していて、それが演奏者の触れる身体の方向とぶつかる分、潰してしまうようなイメージです。因みにこれは和紙一枚でも変わります。形が方向性を作ると言う意味においても。
そこで肩当てと楽器の接点側にも問題がある事がわかります。
肩当てを挟んだ楽器と肩の双方に何の影響を与えているのだろう?
これは、曲面比率の謎が解ければ全く身体的問題である事が良くわかります。(それを解くまでに20枚掛かった。。。)
そこには響きの浸透力のオマケが付いています。

肩当ての材質、これは木片ですが、この木片の密度、それから木の古さでも音が変わります。例えば高い弦の音色が落ち着いた透明感を持ったり、低い弦の深みが増したり。。
自分と楽器の間に木片が一つ入るだけで、その楽器と演奏者の間に生まれる特性に影響を与える。当たり前のようですが、そこに一つ目の特徴があります。

それから形の面では、簡単に言うと鎖骨を底板に当てる状態。鎖骨側を嵩上げしている状態になっているのがわかると思います。
つまり楽器に鎖骨を予めセットしてしまうのと同じです。そして反対面で鎖骨とマッチする。
ですから、鎖骨の質感が楽器に伝わるのは当然かもしれません。
ストラドの底板の秘密もここら辺にあるのかも知れません。

そして三つ目。木の古い方が音色が良いのは、演奏者の身体が新しすぎる。身体の使い方、感覚が、まだ若さ故の物足りなさにある事を意味しています。
やはり、味わい深い響には豊穣な時間が必要なのでしょう。

そして四つ目が身体と楽器に与える変化です。

もともと楽器によって特性も音質も違いますから、まぁちょっと細工するくらい許されるらしいです。

この過程で気になったのはヒラリーハーン。彼女の使っている肩当ては現在多くの人が使っている挟むタイプの物でおそらくKUN Superですが、演奏会では気にならない。
本人はあまり気にしてないのでしょう。部屋での練習の響きは少し謎です。
日本人でこれを付けて良い響きの人はあまり見かけません。(誰か居たら教えてください)
部屋や公園で録音された音とホールの音の違いを聴けば、西洋人の演奏の捉え方と日本人の違いがわかります。
しかもそれは音の速度感を左右していますから、結果的に技術的な弾ける弾けないの一部にもなっています。


勿論肩当てを必要としないよう、余計な癖が取れ、働きが身に付いたら肩当て無しでハンカチ一枚肩に乗せて弾けるようにして貰えたらと思います。
その方がカッコイイし。(厳密にはハンカチの素材でも変わりますが)


肩自体の形にも、撫で肩だったり細かったり個人差があり、少なからず当てなければ無理な人もいます。楽器の背板の形もストラドのように膨らんだり、平坦だったり、繋ぎ目があったり様々です。
肩当て無しでもその接点の形状を変えれば随分弾きやすくなりますが、肩で支えると、その接点に楽器へ向かう運動方向が発生して、そのぶん腕の動きが不自由になると、分かりやすい理屈を付けてみます。(これは半分嘘な感じです)
勿論これは部分の問題ではありません。
そこにはある程度ヴァイオリンの理想とする音と、その音を出す為の構え方に身体の操作規定があるように思います。
しかし、身体条件を絞ると当然その条件では出来ない技巧と言うのも出てきます。
例えば、楽器が消えて音が出る身体の条件が「これこれこうすればなりますよ。」
「そこに太さを加えるにはこうします」
と教えたとして、その枠の中に必ず欠けたところが出てきます。
新しく出来るようになった経験は、それはプラスになるでしょう。
しかし必ず何にでも一割くらい?欠けが出ます。
それを克服するには力技ではなく、工夫の角度、運動のフレキシビリティが必要です。
大雑把に言うと胸にある設定をすれば、西洋楽器には相性が良いかもしれませんが、例えばスタッカートの間を刻む様な動きを苦手にする人が出てきます。腹で弾くとこれは難なく弾けるのですが、今度は弓の当たりが強くなったり音程への集中がタイトになったり、別の弱点が出て来ます。
例えば日本の楽器なら、腹と腰で良い音になるかも知れませんが、どうも西洋楽器は西洋楽器で土壌の違いが出るようです。
まぁ実際は楽器の扱いは楽器に聞くのが一番です。
作曲者が求める技法が必ずしも楽器に適性の身体で弾けるとは限らないからですが、この矛盾が実は面白さだと思います。
そうするとこうした、自分の身体でない身体だとこう出来ると言う経験は有効ですが、自分の身体条件の限界を捉えて突き詰めれば、自由になる。と言う方法もあります。僕はその方が好きですが、煮詰まるまでに時間がかかります。
10年悩むなら三ヶ月立禅でもした方が早いとかはありますけど。。

中々問題全体の中心にぴったり照準が定まると言うのが難しい。けどそこを体験すれば変わります。

この肩当てを試している過程で、重力への反発を無くす。つまり癖、偏りを無くす方向性への再認識と発見がありました。
これは稽古場のこともあり、僕自身もじっくり研究したいのでここでは書けませんが、音にすれば立体感が全く違いますし、感動(心にしみる)が生まれるのは如何してかが簡単に体験出来ます。これも条件はあります。

まぁ難しいですよね。
こうした方法は、核心を求めていないと却って安易に目標を奪ってしまう事にもなりかねませんからね。。
まだ若いんだから自分にしか辿り着けない境地に行っちゃって下さい。
何千年も昔に、インダス文明は「この宇宙は音楽で出来ている」と喝破したくらいで、以来それは変わってませんから。

大事なのは目先の仕事やレッスンではなく、疑問の深さ。
だと思いますが。