はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

予定

「哲学なき政治、感性なき知性、労働なき富、この三つが国家崩壊の要因なり」
と言ったのはタゴールだったっけ?

確かに政治、官僚がこれらを失って久しい。
世界を見回したってこれらが僅かに残っている国の方が靭さを持っている。
人間の精神に関わる知性は紀元前二千年から五百年の間に既に出尽くしていて、現在の思想もその中で行われている訳だけど、この精神の土壌になっている地理的な問題、例えば資本主義が農業による思考の展開とのハイブリッドで観念化されて来ていたのに、近年?この労働から富の概念が切り離され、感情が知性を盲目にして感性が失われ、世界を否認して政治が失われたことで、我々は我々の立つ生活の大地を失った。

この糸の切れた風船の中で身体を土壌にし思弁や観念を再構築しようという運動はベトナム戦争の時代には広まり始めてはいたのだけれど、結局「自由」という観念の比喩をぞんざいに扱ったが為に真理に触れる事が叶わなかったと言うのはその一面であろう。

上辺のみの自由の名によって、自由を粉砕することはまったく容易であるとも言う。

この自由とは何か?

最近リズムとは何かを稽古したところ、ある男子が「自分の輪郭は消すのですか?」と質問した。
これは一種、精神と身体を結びつけ身体から思想が生まれ出る瞬間の発見ではなかろうか。
個人には勿論様々なリズムが混在している。その中の早いも遅いも重いも裏も様々なリズムの中で、感受性の勢いに乗ったリズムが識別され働いている。
その根底に横たわるのは固有のリズム、生まれ出る瞬間、宇宙の一粒として実在を担うリズムを背負っている。それが波、整体で言う体癖の元になる。
この自分が属するリズムは、場のリズムによって消えるわけではない。
複数のリズムに場を与えることで調和した不安定なあるべきリズムを生み出す。
その時自分は自分に属するものを捨ててある意味普遍性に広がる自己を見い出す。
これが彼の発見した「自由」だ。

音楽は精神の側から言ってみれば、自己を普遍性の世界に明け渡す道であって、そこにあるものは音楽の起源へと繋がるだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
教室予定
4月1日
22日
詳細
いつも通り。

予定だけのつもりが、電車に乗ってル間、暇潰しにまた書いてしまった。
きっと教室でエネルギーが発散出来なかったんだな。。