はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

軽躁(かるはずみ)いろいろ

先づは教室の予定です。
11月21日.28日午前9時半から桜丘区民センター
12月26日同上。



ある知人に産まれた子は、顔に少し目立つ黒子があった。医師曰くこれは男の子にしても可哀相だと実際本音がどこにあったかは知らないが、簡単に取れますよと知人に手術を薦めた。生後幾月も経たない乳飲み子はその時の後遺症で言葉が喋れなくなった。乳児に麻酔を掛けてまでする手術だったのかこの事態に至ってはじめて安易な判断を親は悔いた。筈だった。ようやっと他の子供より遅れて歩き始めた我が子を今度は祖母が医師に相談したのだろう。脳の手術を為るといふ。その話を後で聞いて戦慄した。子供の頭蓋骨を取り外し人工のヘルメットのような頭に付け替えた。それもボルトで頸に固定して。子供は当然ながら痛みに泣き喚く日々を送る羽目になった。
麻酔でおかしなことになった時に、麻酔を取ればなんとかなるかもしれないから子供を診せなさいよと申し出たのだが、周りの者に医者のしたことに手を出すなと言われ、結局子供を診ることはなかった。

ところが数年経って、今度はその知人の妹の子供3歳児が風邪をひいた際、親は風邪薬を飲ませたのだが熱が一週間下がらず菌が頭にいって足が麻痺したように動かせなくなる。即日入院する事になり熱は下がり痺れもなくなったのだが院内感染してギランバレー症候群になるオチがついた。
後日このオチは半身不随という最悪の結末を招いた。

親は子供の為に一生懸命薬を飲ませ、入院までさせて血漿交換療法まで行う。


何方も詮方ない切っ掛けで子供は災難を被る。常識の境が何処にあるのか知らないが前者は子供に麻酔してまで行う手術でもないし、後者に一言いふなればバカでもない限り風邪はひくもの。熱を抑えて菌を生かすとは是れ豈に遺憾ならざらむや、と。
熱は必要なところまで上がれば本人はふと楽になって後は下がるだけ。その経過を待てば良いのだがそれが甚だ難しい。親も常日頃自分達が己の身体さえ信用することもなく、健康番組で怖い怖いと刷り込まれれば些細の異変に忽ち己が身体を放り出し医学に身を任せるのは今や国民の義務となりぬ。未だもの言えぬ子等はその親切心の犠牲者となりやすし。
安心してください!
仲間はいっぱいいます!
と、各自治体は相談所を設けて心のケアサービスーそれは心の問題ですよ。ーなんて謬妄むなしき振る舞いにはあれど心の問題と言はるればまあそうに違いない。確かに発端は身体に対する怯えであるから心の問題と見做して国の管理する医療体制と個々の人生に起きる出来事の間に大きな断層のあることを自覚してみれば、いろいろと考え直すことは出来よう。
身体いや病気は怯えるべきものであろうか?日曜朝の「報道2001」で小学生が学校便所の和式便器の使い方がわからず便秘になると話題に。ほうほう今の子はしゃがむと出ないんかいと考ふれば解説某「子供の健康に大きな脅威になりかねない和式便器問題云々」と結んで羞恥なき様ただ皮相をのみ閲するが如何に台本によりても疑ふさまもなきに、これまた甚だ遺憾。
化粧を変えれば人品が正されると教育されて来た結果がこれであろうか?
私事ではあるが、卓袱台の生活から椅子に変えて足首が締まらなくなり骨盤が開いて活動力が衰えた事に気づいた。以前も申し上げたとおり身体が整うこと高潮な時期というものは緊まるものであるから、開けば無意識にいろいろな事が億劫になる。もちろんここにも体癖による得意や現象に違いはあるが、日常が緊まる比重にあれば身体は敏感さを保ち鈍さから来る病リュウマチ、糖尿病、癌を遠ざける。食べ過ぎ以前に食べ過ぎに気付く身体、食べたいと食べたくないが分かる身体になる。

昭和40年代から徐々に便器は洋式になり、卓袱台が消えて食卓はテーブルにイスの生活となりはじめ、畳の和室は減ってソファーに寝転ぶ生活が文明日本の姿になった。しゃがむ、正座する、蹲踞で動く生活はなくなり、イスに座って体育座りで過ごすことを学校は教えた。
まだ今ならしゃがめない正座できない身体に疑問を持つものも多いだろうが、イスじゃないと糞も出来ない身体を健康と呼ぶ時代はすぐそこまで来ている。
生活形態が西洋化し、考え方も西洋化すれば、西洋人のように正座出来ないのは当たり前。それになんの悩みがあろうかと。
我々は長らく作り上げて来た生活や言葉の伝統を捨てた。それは明治維新や敗戦によるものではなく新しい体験を求める心によるものではなかったか。
しかし蒸気機関に憧れ横文字と洋装に憧れて新時代新生活に精神と身体は置き去られた。
その顛末が身体への怯えではなかろうか。ある医師は北斗晶の乳癌騒動で患者が三倍に増えて忙しすぎると嘆く。普段、乳を体験していればそんな馬鹿騒ぎはおきなかろうに。