はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

ヤマトの戦後


5日も実家に帰っていたのは何年ぶりか。
夜の商店街で小祭りをやっていた。

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最近祭りで思い出した事があった。
僕が子供の頃は、祭りになると屋台の並び神社の参道に灯された提灯の下に、必ず軍歌を流しながら座っている腕や脚を無くした軍服姿の老人達がいた。

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戦争で父親を亡くした親父は必ず不機嫌な顔をしながら近ずくな!と言って手を引いた。子供でも彼らの脚は戦争で失ったのだろうくらいは分かる。そのプラスチックで出来た脚がどうなっているのか、怖いもの見たさで近づいた。
屋台の周りの賑やかな人だかりと、戦争の忌まわしい記憶を纏った一角が祭りの喧騒に包まれている。
そんな風景もいつしか見なくなった。
この703年に鎮座した神社からは呉湾が一望できる。
軍艦に乗り出兵して行く若い兵隊達を、この神社は見守り続けてきたのだろう。

この日、98歳の長寿を全うした祖母を見送った。
18で嫁入りし僅か三年の夫婦生活の後、旦那(つまり祖父)はサイパンで戦死した。艦船の上で砲弾の直撃を受けたそうである(本人曰く)
軍港故の空襲の中、二人の子供を連れて川の中を逃げ、芋の弦を分けてもらい飢えを凌ぎ、戦死した長男の嫁は絶縁と住んで居た土地を売られ、苦労してきた。
そんなバイタリティ溢れた祖母も、今頃は成仏した旦那や先祖と仲良く暮らしているだろう。
一日あけてもう一人の祖母の七回忌だった為長い休暇になってしまった。

たまにしか帰らないからか、余計に人や街と共に時代の移り変わりを感じる。
多分この街の行政能力では戦艦大和がなければ原発を誘致しかねない。

町の住人も少なくなり、商店街も小学校もなくなり、全国チェーンのコンビニや携帯ショップにファーストフード、の他地元発祥の細うどん!地元発祥味噌漬け焼き豚?発祥冷やし中華?やたらと本当かよ?!な、御当地店が目に入る。
戦艦大和ミュージアムを中心に観光産業で町おこしのオマケ?に松本零士まで呼んでこんなものが出来ていた。。

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もう少し充実させないとね。。

戦争を知る世代がいなくなり、町は戦争の悲劇の戦艦を観光資源に財政再建の命運を託す。
まるで宇宙戦艦ヤマト地方創生版じゃろ。