はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

表拍と裏拍、音程

年末から拍感とリズムの問題が物議?を醸していて、わかってる人には何でもない事なんだけど、結構言葉の観念によって混乱する代表なんじゃないだろうかと思ってます。

拍とリズムは別ものです。

今回は少し拍について抑えておきたいんですが、拍には表と裏があって、先ずこのニュアンスが欧米人と日本人では異なります。

欧米の拍を日本人が使い分けようと思うとけっこう難しい。

もともと日本語の音感では単語の頭にアクセントのくることが多いので、下向きに踏んでしまう。

その代表が小島よしお唯一のブレイクだった「そんなのかんけぇねー!」で良く分かります。

足と拳を下向きに「そ」「か」「ねー」を強拍にして踏み鳴らしますが、間の「んなの」「んけぇ」は弱拍で音のニュアンスによって、いろいろな感情表現を可能にする部分。

「そ」「か」「ねー」だけが聴こえるように敢えて語を切ることで、フレーズを強調しています。

この最初に強を持ってくる語感は「みんなで合わせよう」と言う共時性の意思が働いて、呼吸を基盤に置いているものです。

最近の言葉で言えば「同調圧力」になってしまいますが、元は並行性を基盤にするリズム社会に生まれたものだったと言えるでしょう。

この並行性ゆえに、日本に拍感のスポーツは生まれませんでした。

相撲も柔道も空手も、表拍の瞬間に勝負が決まる出足の正拍が勝負処で、現代格闘技のようなピョンピョン跳ねて拍を取るものではありません。

音楽だと、雅楽に〈無拍子〉のものがあるように、気の世界を生み出そうとしたのでしょう。

 

この日本語の特徴に似た言葉はハワイなどポリネシアくらいしかないようです。

ハワイの音楽は、この拍によって左右に揺れるダンスを表現するものですが、日本人に馴染みやすい。

もともとの社会が並行性を基盤にしているのは、国と言う概念が薄かったからですが、西洋社会の歴史が上下関係のヒエラルキーを基盤にしてきたのと違って、日本も大陸から多くの人が渡って来るまでは国の概念を持たない共同体の社会でした。

 

日本の息のリズムは関係性の表現にあり、西洋式はヒエラルキーの上に向かう拍感を求めます。

拍感の分かりやすいスポーツと言うとバスケットボールやサッカーは欧米らしい拍感で、裏拍で準備して表拍で動く動作。

ボールが手にある時が裏拍で、床に着いて弾力でボールの床面が凹んでいる瞬間から飛び上がる時が表拍。

裏拍の時、手首を返して次の方向にボールを送り出す。その時フェイント動作などで運動のタメを作り、ボールが跳ね上がる瞬間に動き出します。

これは日本人だと表裏が逆になっていて、手元からボールが離れるのを表にしてしまう。

 

お餅つきを例に、日本的拍感と西洋的拍感を考えると、息と脈の違いだとわかると思います。

僕らが子供の頃は年末になると多くの家庭が一族集まって餅をついたものだけど、家庭用の電動式餅つき機が発売されてから無くなってしまいました。

今ちゃんとした杵月餅を探すと全国で一、二軒しかありません。

餅米の入った臼を杵でつく、その次の瞬間相方が合いの手を入れて餅をひっくり返す。

そのつきたての餅を餅板にのせて、一つづつ丸めます。こうしたお餅は歯切れが良くて喉に詰まったりしません。

杵でつく側は、下すのが吐きで、表の集中。持ち上げるのが吸いで裏。下す時は重さで落ちるけど、正確に運動する集中は手先にはありません。

腰腹に力をおろします。

相方はこの裏拍子の間に餅を返す伴奏者で相手の息にあわせる。

この運動に対して〈意識が強くなる〉と、手先の下向きが表拍になってしまいますから、これは運動の教育を失った現代日本人特有の問題です。

鍛冶屋さんもこのリズムを修行するのが一歩目ですが、TVの特集を観ていると腰腹の力を理解するのが難しくなっているようです。

YouTubeにフランス人が餅つきをしている動画があります。

職人と素人の違いはありますが、重力に対する身体の方向が逆になっています。

それから拍感的には捏ね手を入れるのが難しい。

半テンポ遅れて入れようとします。

西洋には丹田の概念がありません。拍感のような不随意運動とアンタッチャブルな神の概念が結び付いて文化を形成してきたからです。

呼吸は半分不随意運動ですから、神と身体は平行になっていて、これが西洋思想と東洋思想の違いの基盤になっています。

西洋は人のタッチ出来るものを構造化出来るものに限定し、東洋は現実を夢と捉える。

これはどっちが正しいとか、優秀と言う事ではなく、どちらもいりくんでいます。

 

日本的なものがなくなりはじめて随分経ちますが音楽も例外ではなく、日本的なものがマイノリティになっているけれど、日本語が邦楽と洋楽の間に防波堤となっています。

久保田利伸やEGO-WRAPPIN辺りにはもう洋楽的拍感が歌謡曲に入っていたけど、実際海外に拠点があってもONE OK ROCKみたいになりきれないところがある。

紅白歌合戦で、年寄りには何を歌っているのか?何て言ってるのか分からない歌手ばかりになったと言う問題も生まれていますが、日本語の感覚とその他を分けないと番組自体が消えるでしょうね。

だいたい僕でもFALLOUTBOYを聴いて思わずいいじゃん、と思ってしまうくらいですからね。w

 

例えばさっきの日本の武道の例で言えば、裏を消す打ちや抜き、これを〈おこりを消す〉と言います。

西洋式だとボクシングやレスリングなど裏を溜めに使って、表で打つ動きです。

例えばフィギュアスケートは何故日本人が強いのか?と考えると、バレエと違って飛んだ後に間が入るからリズムにハンデが無いと言うこと。回転の中心から手先に運動が向かう方が繋がりが綺麗に見えるのも、バレエと違ってめまぐるしく空間位置が変わるのも、内部に視点がある方が有利に働くからでしょう。

大谷翔平の場合、ジャンクスポーツでホームラン動画を連続して流していたのがとても分かりやすかったんですが、明らかに身体の開きと腕の動きのタイミングが他の選手と違います。

その運動原理は現代ではとても少なくなった昔の日本人の使い方で、これだとダウンスイング、アッパースイングと言う方法の問題ではなくインパクトに力が出るでしょう。

こうした違いは人それぞれにいろんな解釈があるんでしょうけど、拍の元は皆さんご存知のように脈拍なわけです。

この脈拍は身体中に感じれるんですが、ドクンドクンのドとクンを分離する事が出来ます。

内観の技術で課題の一つなのですが、一部の人達にやってもらったところ、やはり、appassionatoはここから生まれてきます。

情感も意識する必要はないんです。曲から生まれて来るもので、そこに余分なものを加えるからポシャってしまう。

脈は普通手首で六つ取りますが、打つ場所も質も違います。

この場所や質感を捉えて心臓の動悸から体調まで変えられます。すべてリズムに関係しているんですね。

音程も何が正しいのか大問題ですが、基本は首の中です。ヴァイオリンの場合少し斜めになりますから、特に難しくなっています。でも一世代昔までは、ここまで問題にはならなかったんじゃないでしょうか?

具体的に耳の奥と首の中が繋がって(解剖学的なものではない)みるとわかります。

 

お知らせです。

教室は1月が29日

2月は26日

3月は19日

です。