はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

リアリティに触れること・・五

久しぶりに両親を呼び出してMOA美術館へ浮世絵を観に行きました。
勝川春章、喜多川歌麿葛飾北斎など、

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所蔵品を展示。
上の写真は庭の光琳屋敷。

重要文化財になっている春章の美人画「雪月花図」、北斎の「二美人図」、宮川長春の「柳下腰掛美人図」など一枚で良いから夜中に忍び込んで引っぺがして持ち帰りたい作品が並んでいました。

はじめてMOA美術館に足を運んだ時に驚いたのがその作り。
岡田茂吉のコレクションですが、一階のドアを入り二階の受付までに長大なエスカレーター七基で登るという、そこでまづ笑ってしまいます。
呆気にとられて思い出したのが、日本庭園で有名な足立美術館。石炭屋の足立全康が財団を設立し作った美術館ですが、美術館としての設計の目玉はどちらも呆気にとられる面白さ。横山大観のコレクションが中心ですが、そこは個人的にはちょっと物足りない気がしました。

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昔はこうした美術品の海外への流出を食い止める為に財団を作り蒐集に努めた人達が大勢いました。
それにしても海外に流れ過ぎですが。
今じゃどうなんでしょうかね?税金が高すぎて難しいんじゃないでしょうか。

財団法人東明美術保存会(現:公益財団法人 岡田茂吉美術文化財団の信念は「美術品は決して独占すべきものではなく、一人でも多くの人に見せ、娯(たの)しませ人間の品性を向上させる事こそ、文化の発展に大いに寄与する」だそうです。
美術品による品性向上と文化の発展。。
今じゃ経済的価値云々コレクションとか銘打った美術館や展覧会があるくらいですから文化は発展しなかったみたいですね。(薩長の田舎侍がみんな破壊しやがってブツブツ・・)

浮世絵の面白さは現代人の僕には味わい尽くすこと難しい。
と言うか、どうやって例えば広重の東海道五十三次北斎富嶽三十六景のような構図が描けるのか不思議で仕方ない。
絵描きなら、何処から観て、どう描き始めたかをまづ観る。そうして画の中に入り込んだらその空気を感じ取り、肌で触れ、次第に作者が感じ、あらわしたかったものが何処からかむくむくと立ち上がって来るのを楽しむ。
技術的な、例えば雪月花図などは、現代絵画のようなパースはなく、影もないと言うか影に色をつけ艶やかに浮世を切り取ってみせる。
この時代の絵師は脳に映るリアリティなど信じていない。
なのに、入り込めば圧倒的な空間性と風雅が匂い立つ。
その点自分達が馴染んで来た多くの西洋絵画が、客観視の主体に見せる為の技術を駆使したのとは異なる。

風俗画である浮世絵を現代で描くと想像すれば、どうしたって貧相な図柄しか浮かばない。つまりまったく別の世界、異なる文化の国の幻の栄華に入り込んだ感覚だ。
哀しい現代人である僕の身体じゃ春章や歌麿の描いた美人画の線一本模写することも出来ないけれど、いつか彼らに同化して模写してみたいという野望はある。