はみだしもの雑記〈やわらぎ 〉

迷惑かけたらごめんなさい。

旅往けば・・・の か・ら・だ

ちょっと今日は短めに・・・
身体のリズムということを考えている時、安易に思い浮かんだのが占術。
あの占術にあるサイクルは一体なんだろうと?
そこで、またまた安易に高島観象暦を買ってきて眺めてみる。
日々の吉凶はランダムなんだから身体とは関係ない。で、九星の巡りに関係するのかというとやはり関係ない。まあそんなことは分かってはいたんだけど。
 
先日Hさんが膝裏の筋を伸ばして歩けなくなった、と言って歩いてきた。。
電話ではその一週間前に微熱が出て云々という話をしていたのだけど、そろそろまた足に問題が出てくるかな~と思っていたところにトラブル発生、ふと気になって
 
「この前出雲に旅行してたよね?あれはいつだったっけ?」
 と訊いてみる。
 
H「あ~4月14日です}
 
Hさん今年いくつ?」(遠慮なく訊く)
 
H「・・・、○歳です」
 
「と言うことは、その日の出雲は西だから・・やっぱり本命殺だ・・」
「その辺りから調子悪くなったの?」
 
H「そうかもしれない・・」
 
「因みに他に遠出した日も見てみようか」
 
H「軽井沢に行ったのが○日で、富士五湖が・・・」
 
「そこらへん良くはないけどやっぱり出雲だね」
「本命殺は身体に出てくるからね・・・」
 
・・・すると、だんだん胸椎6番に気が集まってくる。
そこから膝裏につながっていく・・・
 
「胃が悪かったんじゃない?」
 
H「そぉ!私、胃が痛かったことなんてなかったのに、痛くなったから胃薬飲みながらご飯食べてたの!」
 
「・・・・・」
「まあね、胃袋の強靭なHさんが痛くなるくらいだからよっぽどの事態なんでしょ」
 
H「・・・・・」
 
と、まあ実はHさん、出雲へは同窓会に行ったので多分無駄に騒がしい友人に辟易したとか、そういう事でしょう。
出るもんだなー象意。と妙に感心したのでした。
物事が順調に運んでいる時は、不思議と凶方位には行かないもので、行っても災いの種が無ければたいした出来事にはならないのだけれど、波乱含みの結果を形成しつつある時は総じて凶方位に旅行したり引っ越ししたりしがちでもある。
 
はじめて気学や遁甲に興味を持ったころ、友人の行動とか調べてみては面白がっていたのだけど、結局、若い頃は苦労が必要という事なのだろう、いくら綿密に良くなる方位を調べたとしても帰った後で確認するととんでもないポカミスをしていたとか、行きたくなくても凶方位に引っ越しせざるを得ないとか、度々あって、結局は流される方向が分かったところで抗いようがないものだ。と結論して忘れていた。
まあ、それはあくまで自分自身を動かしてみようとした時だけど。
だけど流されるエネルギーが弱まってくると(歳取った?)方位をとって意図的に良い方向に舵を切ることも出来るようになるのかもしれない。
ただ、難しいのはそれが本当に良いことなのか?って事ですけどねー。
「術」っていうおもちゃの面白さは、変えてしまった全体の流れの代償を、やはり何らかの形で支払わなければならないということと、種の撒いてないところには芽は出ないというシビアな現実に向き合うところ。
ともかく気学っていうのは占術の中でもとっても手軽に扱えるものですけど、そんなこんなで久しぶりに見てみると、普段焦点の出づらいHさんの身体に内観の入り口が出来たのでちょっと面白かったのでした。
身体の波が転換する時と身体の要求がマッチして行動の象意を決めているということなら気学についても考えてみるべき事もあるかもなあ。。
ふんふん。。